梅田の西端、遍照院の南側に存在する神社である。志田先生義広が建立した神社と伝える。境内建物は、社殿、神楽殿、神輿庫、手水舎、社務所である。神輿庫には、梅田亀田町会・梅田通町会・梅田神明町会・梅田上町会・梅田稲荷町会・梅田東町会・梅田本町会・梅田五丁目正和町会の九町会の神輿が保管されている。震災前までは神輿は一つであったが、大正末期から人口が増えて、各ズシがそれぞれ神輿を持つようになったという。昭和初期には、梅光会・協和会・梅親会・神明会という四つの神輿会があった。
また、社殿正面右手には、さし石(力石)が置かれ、鳥居は、「大正十一年(一九二二)九月」の銘があり、その他境内に、「天明七(一七八七)丁未九月創立、嘉永七年(一八五四)甲寅十一月再建 氏子中」の銘がある幟立て、記年の銘文が剥離して年代不明の手洗石がある。
行事は、一月九日の歳始祭、二月初午の初午祭、五月五日の剣まつり(端午の節句)、六月三〇日と一二月三〇日の大祓い、九月九日の例大祭がある。
明治五年の「神社明細」には、「境内 弐百八拾坪 御水帳表返照院境内六拾七間二十九間六四畝廿三分内」とある。境内の北東、遍照院の墓地の一角に禊教の創設者井上正鉄・男也夫妻とその高弟関係者の墓がある。