江戸時代に秋田藩佐竹氏の抱屋敷が存在した場所にある。恐らく、抱屋敷の鬼門除けの屋敷神であったと推定される。棟札から社殿は、現在までに少なくとも三回改築され、そのうちもっとも古い社殿は、一七九七(寛政九)年一一月に鳥居とともに建立され、その後一九三三(昭和八)年一一月に新社殿が建立され、現在の社殿は、二〇〇〇(平成一二年)年八月に落成したものである。かつて参道はもう少し長く、第九中学校の南門に至る道のところで南に折れていたが、同校創立時に現在のような短い参道となり、元参道に並んでいた鳥居も現参道に林立された。
当社は、昔から「いぼ稲荷」と言われ、拝むとよくいぼがとれたといい、また火除けの効験もあったという。初午の祭りでは御神酒・りんご・みかん・赤飯などが供えられ、梅田近隣や越谷・松戸など比較的離れた地域の人びとが参拝にやってくる。その様子は、区の記録映画「足立の四季」に収録されている。
特徴的な奉納物は幟(のぼり)で、最も古いものが一七九八(寛政一〇)年二月のものであるが、最も多いのは一九三〇~四〇(昭和五~一五)年代の幟で、奉納者の多くは新たに梅田の住人になったものである。この年代は梅田の人口が拡大した時期にあたり、幟は、地域の歴史を語る点で面白い。