一月二十一日

原本へ

正月廿壱日 朝ゟ晴、余寒強
 下男馬五郎・茂吉・五反田釜詰かへ、竹二郎・宇吉・金之助湯舟
日影山真木伐也、八郎五反田馬屋肥附る也、主人見廻りニ行
一 与頭善左衛門御地頭所江年始ニ行、野津田村与頭源右衛門・
次右衛門等同断
一 東海道平塚宿江入屋村ゟ養子参候もの咄、角屋吉兵衛今
十八日相州筋年頭罷越候、入屋村圓蔵殿方承り東海道
当月十五日ゟ二月五日迄大小名通行御延引ニ相成助郷一同
手透に相成候由、右者 御上洛之事ニも可有之哉
心配之由御座候
一 御府内町人共一昨酉年戌年弐ケ年平均売高御調
ニ付、町内名主共ゟ書上候様御沙汰之旨、大蔵村市右衛門殿
出府承り被相咄候、一切ニ者大小名東海道筋往辺(還)相嵩
人足多分入用難義及候間、宿々江被下置候思召与之事なり、
定而大返(変)之事ニ御座候、何歟相分り兼只々下々之風聞有之候
一 芝崎村元右衛門年始来、半紙弐状扇子弐本浅草のり壱状
貰申し候已上
一 太郎左衛門娘お多津尾州様御国元江昨戌十月中出立之処
其後便りいたし、猶又此度瓜生名主市三郎殿江手紙届候間
持参いたし開封之上読遣候処、秋ハ帰国いたし候様市ケ谷
御殿園町様江願呉候様頼之文言外、勘十郎金子貰伊勢
参宮いたし度与申事ニ御座候、上権右衛門女房江も手紙参り候、
是ハ不見申
一 瓜生名主市三郎殿當正月九日地頭年始出府、十九日帰り之由、
為年始与菓子壱包貰申候、吸物酒出す、鹿之助江高書抜
持参、是者御取締筋書上之事
一 小山田村大泉寺三十四代月定愛光号六窓菴僧、此度
尾州津嶌在赤目村一心寺横井伊織之助菩提寺江転任
為暇乞弟子大能尚和来、此大能和尚ハ忰鹿之助輩友詩人也
一 古澤彦太郎山鳥壱包為年玉与持参愛度受納、吸物餅等
呉申候、麻生増右衛門殿三男高書抜持参大家利右衛門殿分共
一 中田村小山彦太郎年始来供壱人
一 下堤源左衛門聟関戸村伊勢屋与申もの半紙弐状持参
辰五郎忰三人来、拾壱ケ年前文右衛門方へ質場ニ相渡候畑請戻、
孫相続為致度段申入候間、得与勘弁可及旨申聞候