一月二十五日

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正月廿五日 朝ゟ晴
 下男馬五郎・竹二郎湯舟釜詰替、八郎大丸村萬屋与申醤油屋
行小麦弐表、宇吉・源二郎来真木伐也、小山田村若林丹二郎殿来、
親丹二郎参宮江行、忰組合会合ニ付惣代共出席宿角屋なり、
道助書面方鹿之助稿草也
一 松平若狭守様御子息今般
 上様御上洛被為遊候ニ付、御供方御書院御番頭附、尤当正月
十五日頃被仰付候由、来二月六日頃与申事、御知行所五拾両
出金之由承り申候、已上
一 壱本杉次左衛門ゟ金拾五両請取彦兵衛分地替之畑請戻
代金預り置申候、尤直別處吉兵衛家作田畑等引替可申候、已上
       五斗四升替
         一 小麦八斗、内五升切    大丸萬屋
           代金壱両壱分壱貫弐百拾文也
一 中鉄村大惣代藤右衛門年始来手拭壱筋半紙壱状、其節之咄左之通、
東海道程ケ谷宿加助、寺家・成合・鴨志田・谷本・市ケ尾・青戸・
八朔・恩田等、重立木曽・小野路組合等差村いたし候由被申聞候、
明日当り谷本・恩田惣代共之内江罷越事実承り候積也、
寄合江行
一 坂濱村名主銀平殿年始来羊甘壱箱持参、種々之
咄茶積(漬カ)出ス也、寄合江行
一 山崎村下使金次郎来年玉半紙二状持参、挨拶ト而
金弐朱半紙壱状遣ス也
一 与頭善左衛門御地頭所御用相片付今日帰村、野津田村
源右衛門一同尤郷州下り候ハヽ其節飛脚参候由ニ而帰村也