二月四日 朝ゟ晴、余寒強
下男馬五郎別處惣兵衛方へ行、ふき替、八郎八王寺宿江行
米売也、佐吉布田宿江行炭附る也
一 下堤茂左衛門、佐左衛門方へ行源兵衛忰懸合、当年参候様
申談候
一 同所源左衛門病死之趣申来候、我等行合候間届に不及由
佐左衛門・茂左衛門江申聞候、同人孫両家之内江奉公済致候様、
吉五郎・佐左衛門江是又申談候、其後両人罷越申聞ハ十八才
相成候娘奉公へ遣度趣、祖母并関戸叔母一同相頼呉候様
申聞候間、何卒可然相頼候由申之、何両家之内ニ而世話致遣
すへく段及挨拶候
一 茂兵衛ゟ申聞候ハふて事当年者箱糸取申度由断候間
承知いたし候、乍去五月ハ参呉候様申談候、其後利右衛門
方へ罷越女房へも其段申談候
一 小山田若林三右衛門殿来、忰鹿之助種々之咄致し餅焼出也、
夕刻帰宅
一 火附盗賊改手之もの高ケ坂村清吉参、先日預ケ候囚人
引立行、其節重而預ケ之節者差懸之事故、一昼夜ハ
宜若五日預ケ等之節、旦那様ゟ小野路村預ケ之御書付
持参致し申談遣候、左も無之候ハヽ違変之節差支
之趣申談候、已上
四三かへ
一 米弐俵 十四日今場米屋
代壱両三分ト
七百拾六文