二月十七日 朝晴又曇
下男馬五郎・八郎・和吉三人共湯舟そた揃ニ行也、主人
見廻り赤飯持参行也、弁太上溝薬取ニ行也
一 民之助・道助米附八王子宿江行、佐吉新宅米附行也、下男
竹二郎引越新宅ニ而遣候積、民之助義者表ニ而遣候積、
才造ゟおキク江申聞候由
一 御上洛御留主中組合村取締筋御出役方ゟ御沙汰
有之、其段小前請印并地頭所ゟ御達有之ケ条
逸々書取一同四給村役人立会道助方ニ而調印致候、
尤右申渡方等之義鹿之助重立申渡候、已上
御上洛川崎宿御泊り、大師河原平間寺御座所ニ相成候趣御座候、
此段風聞故控置申候、翌十四日藤沢宿御挨棺之処風雨ニ付、俄に
戸塚宿本陣御座所ニ相成候由風聞
一 夜九ツ時出火之由声立候もの有之、驚入起見候処名主利平司殿
入湯場五右衛門風呂ゟ出火、既新座敷与唱候家根江燃移り候
処家内之もの目覚声立、夫ゟ泊り合居候伊兵衛忰和吉・
七兵衛忰民之助・下男浦二郎、利平司内ゟ手桶江水ヲ入相懸ケ、
外ゟ者鹿之助・喜三郎其外追々馳付ケ流土(龍吐カ)水ニ而打かけ
漸静り、村内一統見舞ニ参り一夜不寝仕候、乍併利平司殿
仕合者勿論宿内不残連性宜敷、偏秋葉山大権現様之
御影与拝礼仕候、居合候もの江酒ムスヒ等被呉候申候、已上