二月二十一日

原本へ

二月廿壱日 朝ゟ曇、雨少々
 下男馬五郎内江行、和吉湯舟そた揃ニ行、八郎負平ゟ木枝付込、
主人野津田村へ髪結ニ行
一 新宅仁兵衛義今日宮参、両本家共家内不残被招行、
太織着物中宿一同遣ス祝也
一 鈴木四郎左衛門様知行所相州愛甲郡山際村与頭十郎兵衛与申者、
当月八日夜大雨ニ而上ノ山ゟ野水押纏ひ一円に押かけ、裏山崩落、
庫壱ツ・隠宅・物置・稲荷押潰、本宅江土入村中人足四百人集り
土出申候得共、漸板敷上計り持出候由、末稲荷・庫ハ相見江不申候由、
一躰百五拾年前右様之事有之堀切いたし置候処、年来相立
右堀切絶候由、夫故右之始末与申事、天保七申年以来至而
高□運之ものニ候処、家内一同奢に長し候故是より
如何与世上評判也