十月二十八日

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十月廿八日 当賀、朝晴
下男八郎・和吉・馬五郎三人共裏荒句下福全田廻り通之
萱苅ニ行、昨日夕迄拾五駄弐抱
一 野津田村丸山伴助殿ゟ書面を以木曽・原町田村之
懸合之趣申来候、野津田村者大山参詣人有之石阪も
親子共行候由
一 信州種屋堀内谷吉棧留前懸切壱ツ餅菓子等持参、
外佐久間之額壱枚持参、当月晦日迄孟竹壱本
貰請度由御座候
一 江戸糸問屋横濱江積荷致候者方へ、此節
浪人躰之もの切込四、五人切捨候由、尤本人者逃去
雇置候もの由、且外々江も切込候風聞有之候得共、未
然与不相分能々承り帰村可致候間、其方計帰宅致候様
圖師村弥右衛門与申もの村方忠兵衛聟江書面参候由、同人
ゟ承り候間控置申候
一 日光御霊前所江も浪人躰之もの七、八人罷越候由、
同所ニ而も千人頭同組共奉行并隣国之大名方
不取敢御詰被成候由、是ハ四、五日ニ而行衛不分相成候由、
小山田村浅右衛門殿養寿院同道ニ而被参勧化之
席ニ而咄之由御座候