読み下し

近藤勇・芹沢鴨書簡

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  稽古場一統様え呉々宜しく
  希い奉り候以上
 
二啓申し上げ候、厳暑の節
御座候えば御勇健上奉り候、
然らば、大樹公五十日の御滞京
存じ奉り候居候折柄亦々近々
の内御発駕 仰せ出され候様子
に相見え拙者共一同心配罷り在り
候、萬一大樹公御下向相成候上
にて亦々攘夷延引下され候、
天下諸侯囂然にて洛陽
穏やか成らざる事存じ奉り候、然らばよつて
拙者共今暫く洛陽相止どまり
内変模様相窺い其後攘夷
にも相成候はば、速に下東仕り醜慮
掃攘魁仕りたく候心得罷り在り候間、
大樹公御東(到)着より暫く延引
致すべく哉と存じ奉り候、右御承知下すべく候、
當節洛陽の模様累卵の
如く其取り沙汰厳然たり、
小笠原図書頭殿上京
致され候え共右攘夷延引
のみならず独(談)断を以て金
十七万両外夷相渡し趣につき
□伏見辺滞留いたし
洛陽に入られずそれ是以て
諸侯風説頻り御座候、
然る上は 大樹公御東着
の後は亦々嶋津三郎
上京致すべくと存じ奉り候
一 六月朔日風説承り候処、
大坂表にて天下浪士と疑名にて
市中動揺致され且、刀祓
(抜)き我(俄)かに逆柄に切り懸け候由、右依って
同日夜拾人下坂仕り翌三日早朝
彼の浪士高澤民部、柴田
玄蕃宿所え押し込み一と通り
尋ね候上召し捕り、則(即)町御奉行
所差出し候、
一 同三日申の刻頃小舟乗じ
水稽古出船いたし候処、
いづれも稽古着小脇差
のみ舟入り段々流れ随い下筋え
相下り少々病人出来候間、
よんどころ無く上陸いたし住家へ
立ち寄り手当いたし居り候処、
素々稽古着小脇差と相侮り
候哉、相撲取弐三拾人裸体
頭巻筋かね入りの樫棒を
携え理不尽打ち懸かり候間、
止むを得ずざる事小剣抜きはなし
打ち合い候処拾四人も手負い候
哉、存じ奉り候、同志の内には壱人
も薄手負い候物(者)も御座なく
一同無事御座候、其節大坂表
相撲興行これ有り候節、関取
熊川熊次郎翌朝死去仕り候
由、跡三人死にかかり居り候由御座候、
大坂町奉行所御届ケ左の通り
御座候
               口上覚
                 浪士
                  八人
右の者今申の刻頃小舟相乗り
水稽古に出船仕り候処、流れに随い下筋え
相下り俄に病発いたし候者これ有るに付き
過日下坂の節常安橋大会所え
旅宿致し候に付き右家え立ち寄り手当も
致すべくと上陸致し当地道筋不案に付き
彼是相迷い何町何家に御座候哉
立ち寄り手当致し居候処え何者やら相知れず
裸体にて頭巻いたし手頃の棒携え、理
不尽に打ち掛かり候間、止むを得ざる事素より此方
水稽古ゆえ撃剣稽古着小剣のみ御座
候え共、則祓(抜)き払い打ち合い候処、先方八九人程
薄手負い候哉存じ奉り候、夫(それ)より狼藉物(者)逃げ去り
味方は手疵を請け候者壱人も御座無く候、素々
此方共義稽古着小脇差ゆえ彼方より
仕懸け候に付、止むを得ざる事、右の仕合に御座候間、
宜しく御察し下さるべく候、萬一今宵にも彼
者共徒党いたし此方旅宿え罷り越し
候えば聊か用捨(容赦)なく打ち果たし申すべく心得
御座候、此段念のため一届ケ申し上げ奉り候以上
                      壬生村詰
                         浪士惣代
  六月三日夜                    芹澤鴨
 大坂                        近藤勇
  東町
   御奉行所
                松平肥後守様御届ケ書二通
別紙の通り大坂東町奉行所え
御届ケ申し上げ置候、其節弐三拾人程徒党
いたし押し寄せ候者共跡に十来たり候処、相撲取
共の由御座候、当節浪花表風説来たり
候処、町与力衆は相撲取四五人宛
出入り抱え置き候趣、就て近頃非常御用意
として筋鉄入りの樫棒を銘々御渡し
相成置き候由、然る依って右の角力共儀
殊の外天下御用人様と権威を以て
市中横行仕り候由、一体昔古は
武術の内にも御座候御様(子)承り候得共、
近来は奇舞妓見せ物同様存じ奉り候、
右は匹夫の者共え非常御用に
御任用遊ばされ候事如何の御処置に
御座候哉、右等依って今度
の変事出来仕り候と存じ奉り若し亦御尋ね
の儀も御座候はば口上を以て申し上げ奉り候以上
                      浪士惣代
  六月五日                  芹澤鴨
                        近藤勇
   松平肥後守様え
 
   右の次第御座候、不学芸術
は御用に立ち申さず、然ば剣術出精
致したく存じ奉り候