読み下し

近藤勇書簡

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(端裏書き)
御一覧の上祝融氏え御投げ
申し上ぐべく候
 
爾来御無音に相過ぎ時下寒
冷相増し候え共愈御清逸欣
喜之至り南山奉り候。随って当方
一同不事御懸念之無き様、偖
九月下旬より廟堂の大変
動言語筆墨紙に尽き難く
大事件出来然る故は
兵庫港え外異襲来船
舶より彼輩申し立て候には只今
迄の條約面甚だ真疑不明
之有り候間是非共上京致し
国王の下に関白と相唱ひ候
仁え面会致し條約面相改め
幷に兵庫港開きの応接細かに
致したく旨伊豆守豊後守則
応接致され候処右両候(侯)外夷
より十二時の中に右の返答も
相承りたく旨切迫致し候間速に
兵庫開港致し右等を以て
上京致したく旨差し留め相断り
申すべく旨悉く指迫り議論も
之有り終に 天朝え奏聞
御坐無く幕議一定致し候処
何分にも外夷より右様に切迫
致し候も計り難くと井上主水正殿
を遣わされ候処、全外夷よりは右の
通り切迫致し候事は毛頭
之無く右趣意柄 天朝え
奏聞下されたき旨申し立て候迄の
事に御坐候、是全く 朝幕
を欺き此機に乗し開港致し申すべく
の趣意を以て両候(侯)の策と存じられ候、
右に依って別紙の通り仰せ出され候
一大樹公御政務一橋殿え
相譲り還御在れせられ候旨
仰せ出され京摂の変動
是亦言語に尽し難く覚え候、
会公始め幕附(府)の諸藩
我事共も九月廿五日より
京摂に馳走周旋致し候、
依っては右等の義には先以て
御沙汰止め相成天下安心
期到り申し候、其以来小笠原、
板倉両侯閣老御再職
相成候間是より幕府の
人傑追々御復職にも相成
申すべく哉是僥倖と存じ奉り候、
長征の事も是より漸々
御取掛り相成候模様相見え
申し候、先は用事のみかくの如くに
御坐候不具
 十月廿九日燈火認メ
          昌宜
  盛兄
  政兄
何方えも宜敷御鶴声希い奉り候、
小子義にも来月中旬頃には四五人
召し連れ長地え大小監察附添
出張に相成申すべく哉と存じ奉り候、急場にも
相成候はば別段書面も差し上げ申さず万事
宜願い上げ奉り候以上
 尚々季候御厭い成らせられ候様存じ奉り候、
 稽古場御一統様えも宜敷
 希奉り候相替わらず留守宅の義
 御厚情謝奉り候、下拙事も
 未だ東下の期限に至り申さず依って
 一ト先土方氏差し下し万端心得
 にも相成る義も之有り候はば、御服臓なく御異見
 御申し越し
 希い奉り候、井上氏えも別段書
 面差出申さず候間御吉の節宜
            希い奉り候
               以上