読み下し

近藤勇書簡

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 拙留守宅老父等相替らず御厚
情万謝奉り候
 
当月四日出しの御投翰同
月十八日東光寺貴僧所持
則ち拝見命の如く秋凜弥
御安逸成られ御起居大賀斜めならず、
京師表一同不事御懸念
之無き様御休意下されたく偖、
御進発以来当地防長
亦列藩之形勢等曲(巨)細申し上げたく
候えども、兵は国家の大事
容易ならざる事、亦公辺え対し尤も
斟酌罷り在り、しかしながら、時々
御左右も相窺いたく候処
公私用々に日夜馳奔致し居り
且は、百里之山隔誠に心底に任せず
慮外万々将に筑前黒
藩事件膳所一件長征
未だ御発向にも相成らず御滞坂
の義には意味探(深)長も之有るべき哉、
予め申し上げたく候えども当節柄
役場聊か公辺の御嫌疑も
憚り入り且御存の通り不文僕
宜しく御賢察願入り侯、此度幸
便左に大略申し上げ候、
 大樹公御本陣膳所の
積もり候処水藩鯉沼某
川瀬太宰元膳所出の由、亦膳藩にも
多人数同志之有り、地雷火
の策之有り候由、上御着城
四五日前露顕致し俄かに動擾
致し川瀬壱人召し捕り膳藩
のところは藩中にて所置致し候趣、
先ずは平穏にて相済み併せて
此義には大名一家の興廃
に係り候間、御他言御断り申し上げ候、
実に容易ならざる形勢量るべからず
の人心に御座候
一筑前え薩摩某昨臘より
参り居り種々の沸議生じ候様
周旋当四月に至り薩家老
小松帯刀参り国政此度
幕府大軍にて京師に迫り
兵庫開港押して仰せ立たされ
候様是容易ならざるの事件
皇国の人々傍観致すべからざる
の期限速やかに黒田家において
も人数差し上げられ候様相互いに
力を併せ幕府の権兵取り挫き
申すべくと謂う義無くも議論
致し頻りに人心沸騰致され終に
筑藩兵挙げて大坂迄
出張押して上京致すべく旨
京師より御差留に相成段々
御諭しに相成漸々上坂の
者どもは関東より御発向御趣意
も相分り候哉の由、併せて
国表は未だ沸騰致し居り候様
相聞こえ候、誠に量るべからずの人心
御座候 是は閏五月上旬の事に御座候
    薩藩策と覚候
一長征の手続きは岩国徳山
両侯も浪華迄御呼び寄せ
に相成り(改古)悔悟服罪の御糺問
其上にて御発向遊ばされ候様
然る処二月にも相成候えども
着坂致し申さず定めて防長の
議論も決定致さずと相見え申し候、
就ては近々御人数御差仕
向け様併せて御営中只今
の御役家にては覚束なく存じ候、何れ
小笠原侯御用召しに相成り候間
御着坂の上閣老職に相成り
其上いつれとも御取り懸り
相成るべく哉存ぜられ候、尤も防長
の義には未だ申し上げ兼ね候義之有り
候間宜しく御推察下されたし
 不備
 八月十八日燈火認め
             近藤勇
    小児鹿之助様
    橋本 道輔様
 猶以て御老父様始め皆々様え宜しく
御鶴声日野駅諸賢兄え
粕谷兄にも宜しく願上げ候
以上