読み下し

吉野泰三メモ

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沖田總次は近藤勇の門人奥州白川
阿部侯の臣明治元辰年卅日
東京千駄ヶ谷に於て病死
宮川音五郎は近藤勇の実兄武
州多摩郡上石原村の人
近藤勇は上石原驛宮川源次郎
三男近藤周助の養子となり撃剣
師範を業とす、かつて新選組首領として会津
侯に従い上亰維新伏見戦に利あらずして
東京に帰り更に東軍を督(ひき)いて官兵に抗し甲
州勝沼に於て戦い敗れ潜かに流山に到り竟(つい)に
官軍の為に捕われ降るを肯んぜずして
板橋驛に屠腹す時に戊辰四月廿五日行年
三十五
佐藤氏は日野驛の人通称彦五郎近藤
勇の門人
萩原氏は通称多賀次郎東京の人
寺尾氏は通称安次郎田安侯藩
蔭山氏は通称新之丞徳川旗下の士
島崎氏は通称勇三郎武州多摩郡
小山村の人近藤周助の生家也勇三
郎は後東京に移り與力となる
中島氏は通称治郎兵衛多摩郡
立川村の人
小島氏は通称鹿之助多摩郡小野
路村の人
宮川信吉は多摩郡大澤村宮川
彌七の弟大坂に於て闘死す時に年廿五
土方歳三は武州南多摩郡石田村
伊左衛門の三男勇の門人
凾館に於て戦死す明治四年三月年三十五
惣兵衛は勇の兄源次郎の二男
大石鍬次郎は勇の門人
右近藤勇五郎に質し之を記す
明治廿二年一月  吉野泰三