上書
謹で言上奉り候、今般格別之御改革御議定
御立て遊ばされ候由、然は関東表新徴組新規
御召し抱えに相成候趣、依ては我々身体之儀も何と
歟御沙汰御座候哉之趣、私迄御内意を蒙り候段、
承知奉り、尤も不肖之我々共之身に取り有難き仕合とは存じ
奉り候得共、全体私儀は尽忠報国志士、依て
今般御召し相応じ、去二月中遥々上京仕り、
皇命尊載,夷狄攘斥之御英断承知仕り度
存志にて滞京罷り在り候、外夷攘払魁仕り度、
趣意を是迄愚身を顧みず度々建白奉り候通り
未だ寸志之御奉公も仕らず内、禄位等下し置かれ、
公勤は有難き仕合とは申しながら、其為報国志士
共恐れながら万一御処置に撓折致され候儀は、如何と
心配仕り候、尤も私共新徴組之見合には相成り申さず積りに
御座候、私共存意は只々報国のため寸効相立て度、
既に去月中より関東におゐても鎖港之趣、承
知罷り在り候間、左候得は漸々攘夷期限仰せ出され候、
其節 尊命を蒙り醜慮に当たり御馬前御奉
公夫のみ相待ち居り申し、其上聊か禄位仰せ付けられ候は
有難き仕合に存じ奉り候、右御沙汰御暫時之処
御免仰せ付けられ候様、組一統伏して願い上げ奉り候、以上
新撰組惣代
局長
近藤 勇
文久三癸亥十月十五日
【解説】
芹沢鴨亡きあと新選組は、近藤勇、土方歳三体制となった。江戸の新徴組に禄位を与えることになったので、新選組にも禄位授与の話があった。これに答えたもので、新選組は、尽忠報国の志士であり、攘夷について御馬前の御奉公したばあいは、禄位を受けるが、まだ、寸効も立てていないので、暫くの間禄位をいただくことは辞退すると述べている。