(1) 賀茂競馬について

 五月五日の賀茂競馬(くらべうま)は、寛治七年(一〇九三)に堀河天皇の御勅願により、宮中の五月五日節で行われていた競馬を上賀茂神社に移されたものとされている。二十頭の馬が左方、右方に分かれ、乗尻(のりじり)はそれぞれ赤と黒の舞楽装束を身につけ、二頭づつ十番の勝負を行う。これに先立って行われる五月一日の足汰式(あしぞろえしき)は五月五日の出走順を決める儀式である。まず一頭づつ馬を走らせ(一頭駆け)、その遅速により上上から下下までの九段階の評価をつける。さらに評価の上位から順に番を組み再度走らせ番の様子を見る儀式である。ただし、一番目と二番目に走る美作国倭文庄(しどりのしょう)と加賀国金津庄(かなづのしょう)は古例により上上となることが決まっており、一番の左右に指定される。五月一日と五日では乗尻は異なる。一般に、五月一日は若手、五日は壮年の氏人が務めることが多い(現在は両日とも同じ乗尻が務めている)。乗尻は別の人物に代理を務めさせることが許されており、これを代乗(だいのり)という。五月五日には埒の東側に頓宮(仮殿)がもうけられ、前日午後に本殿から賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)が遷御される(現在は当日午前)。頓宮の南隣には幄舎があり、神主(上賀茂社の代表で現在の宮司にあたる)・別当(社司の介添え)・所司代(馬の遅速等を査定し、五日当日の番を決する)・目代(馬の年歯・毛色・遅速等を註記する)が着座する。これとは別に埒の左右にも幄舎が設けられ、それぞれ階下(左右乗尻奉幣の際、その祈願を受け馬上の安全と必勝を祈願する)・扶持(階下の介添え)・後見(勝負の査定)が控える。
 
 それぞれの馬には庄園の名前もしくは社司の職名がつけられており、五月一日の一頭駆けの出走順は予めこの名前により決められている。馬所はそれぞれの馬を供出する責任者で、社司がこれにあたる。『雑記』に記載された名前を系図から職名と対応づけると乗尻一覧表のとおりとなる。(足汰乗尻の一覧 五日乗尻の一覧)馬の供出元は、美作国倭文庄が京都所司代であるほかは上賀茂周辺域の農民であった。