文久二年 五日乗尻

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同年五月五日
    五月五日乗尻

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一番倭文庄若狭季忠酒井殿御馬
金津庄宮内之介大夫當顕岡ノ清吉
二番貴布祢祝大膳之介永季三ノ庄三
代浄衣主計之介大夫定清
新宮祢宜住太郎大夫清親松ヶ崎左武
代大和介保右
三番竹原庄貞吉大夫豊季河ノ伊八
権 祝伊豆敏清池ノ磯吉
代土佐介清村
四番片岡祝上野保徒梅ノ庄金
貴布祢〃宜保次郎大夫清務三ノ又四郎
代原大夫重直


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五番安志伊勢介保周梅ノ羽右衛門
土田飛弾守才清梅ノ次郎吉
六番脛永織部大夫有保梅ノ権兵衛
代但馬介保身
舟木岩尾大夫希顕中ノ音吉
入直一度
七番宮川左近大夫保茂岡ノ八蔵
淡路左織大夫重教岡ノ清五郎
八番正祢宜淡路守元清三ノ又三郎
正 祝式部大夫保甫梅ノ源之丞
代浄衣左馬之丞大夫保賢
九番福田刑部大夫枝顕同 藤左衛門
出雲大炊大夫経武池ノ音市
代越前介清質
十番権祢宜民部大夫季徳梅ノ三四郎
片岡祢宜和泉守経業梅ノ音松

階下従四位下昆顕後見左方清康保則
従五位下保愛右方太氏顕之
肝煎致清季尚
季行季理


 
當年 名代衆分

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     着座
   代保逞
神主 保盛
別当
所司
目代
 
一 日光宮御上京御逗留中ニ付、競馬御覧之事。
  尤経所。
一 所司代不参御奉行大久保土佐守壱人、両御附瀧川播磨守・
  松平伊賀守大番頭壱人等見。

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