河本家蔵書については、既に「稽占有文館(河本家)蔵古典籍目録」(『米子工業高等専門学校研究報告』三七号)が公開されている(1)。それを基にすると、総冊数は八〇七種四七一九冊に及ぶ。版本が多いが、古活字本は発見されておらず、江戸時代の整版本がほとんどを占める。一部、明治期の版本も見受けられる。また、写本では、江戸時代の写本がそのすべてであり、河本家によって書写されたものも含まれる。
次に、蔵書の種類分けをし、それぞれの傾向を見てみたい。
(1)文学・注釈
一一六種四七五冊が確認されている。和歌に関する書籍が多く、例えば契沖著『古今余材抄』八冊は写本であり、保存状態も良好である(2)。賀茂真淵著『古今和歌集打聴』八冊、本居宣長著『古今集遠鏡』六冊も版本ながら所蔵されている。以下、版本であるが、『和漢朗詠集』や『貞徳頭書百人一首抄』『山家集』『鰒玉集』などがある。これらの書物の享受として、興味深いものに河本通繕編『百番歌合』がある。この『百番歌合』は、幕末期に実際に河本家で執り行われた歌合を書き残したもので、『専修総合科学研究』一〇号にて、翻刻、公開をした。また、伯耆地方を中心に伝わったであろう古今伝授の秘伝書『和歌三品極秘伝』も、『専修総合科学研究』一一号にて、翻刻、公開した。
和歌以外では、謡本が一七種七五冊で、多く残されている。軍記物語では、明暦二年(一六五六年)刊『平家物語』十二冊(3)や、寛文十年(一六七〇年)刊『義経記』八冊、『太平記』二一冊がある。そのうち『義経記』については、二〇〇一年、(株)エッグよりCD-ROM化され、そのすべてがデジタル画像によって保存されているので、参照されたい。注釈書では、本居宣長著『古事記伝』四八冊、細川幽斎著『伊勢物語闕疑抄』五冊、『平家物語評判秘伝抄』二四冊、青木宗胡著『鉄槌』四冊、浅香久敬編『徒然草諸抄大成』 一〇冊がある。そのうち、『徒然草』の注釈書である『鉄槌』は、稽古有文館の蔵書のうち、最も古く刊行された版本である。「慶安安元戊子年仲冬良辰/藤井吉兵衛尉新刊」の刊記があることから、慶安元年(一六四八年)に刊行されたことがわかる。また、江戸時代最も流布し、かつ版を重ね続けた『鉄槌』、それ自体の初版本でもあるため、極めて貴重な書物であると言える。『国書総目録』によれば、慶安元年刊本は国会図書館、東北大学、富士見丘女子短大、名古屋大学、高野山金剛三昧院、神習文庫にのみ所蔵されている状況である。この『鉄槌』についても、二〇〇二年、(株)エッグよりCD-ROM化され、そのすべてがデジタル画像によって保存されているので、参照されたい。
他にも、『卯杖』は天明四年(一七八四年)以降に編まれた俳諧集で、主に伯耆地方の俳人による作品が収められている。こうしたものは、当地で編纂をし、上方などに印刷を依頼し、作成されたと思われるが、地域文化史の観点からすると非常に興味深いものである。なお、河本家からは、花流なる人物の作品が残されている。また、『花乃杖』は文化三年(一八〇六年)に門脇家(鳥取県大山町)が編纂した俳諧集で、こちらは「浪花心斎橋筋南本町松井忠蔵梓」とあり、印刷地が明確にわかる。河本家では、不石、亀睡、蕪山、和楽が作品を残している。このような地元編纂の俳諧集が、蔵書中いくらか存し、これらを対象とした研究が今後望まれることになるであろう。
(2)歴史・軍書・伝記
八六種一二七五冊が確認される。水戸学の享受にあたり購入したと思われる『大日本史』一〇〇冊や、江戸幕府の命を受け、林羅山、鵞峯父子が編纂した『本朝通鑑』正続二九四冊(欠有)が、まず目を見張るものとしてある。しかしながら、さらに驚くのは戦国軍記と近世軍書の充実ぶりである。写本では、関ヶ原の戦いを記した『関原記大全』三〇冊、石田三成を描いた『太平基軍伝』三〇冊、大阪冬の陣、夏の陣を扱った『厭蝕太平楽記』一五冊、豊臣秀吉について描く『太閤真顕記』一九四冊、油井正雪一統の時件を描く『慶安太平記』二冊などがある。一方、版本では、『陰徳太平記』四一冊、『太閤記』一〇冊、『名和氏紀事』二冊がある。これらのうち、『太平基軍伝』などは、残されている写本自体が数点と少なく、稀少な資料として考えられるのである(4)。また、こうした戦国軍記、近世軍書の収集は、河本家が武士の出であることとも関係があるようで、武家に対する憧憬がこうした形で表れ出たとも言えるのである。そのほか、『菅家世系録』は講談師であった玉田永教による菅原道真の伝記である(5)。
(3)有職故実
六種五二〇冊が確認される。そのうち、『礼儀類典』は、全五一五巻に及ぶ大著である。一六八三年頃、水戸光圀が編纂を始めたもので、一七〇一年に完成、一七一〇年に朝廷に献上された。宮廷行事を中心とした有職故実の総合部類記である。全巻とも人の手によって施された写本であり、五箱に分けて納められている。うち、三巻は彩色を施した図絵であり、天皇の即位儀礼などで使われる高御座や四神旗、礼服などが描かれ、その描写は荘厳かつ繊細であると言える。序文、目録の後に続く本編は、正月一日からの年中行事についての記述である。主に古代・中世の歴史書や儀礼書、公家の日記からの引用によって構成されており、その引用書籍は三〇〇種近くに及ぶ。つまり、『礼儀類典』は宮廷行事の集大成的書物なのである。 しかしながら、現在五一五巻のすべてが揃って保存されているものは少なく、宮内庁書陵部、国立公文書館内閣文庫、国立国会図書館、東京大学、京都府立総合資料館、和歌山大学などに一五部ほどが確認されるだけである。いずれの場合も、皇族、幕府、公家、大名などに関係した部署からの受納であり、一部の特権的な人々によって享受されてきた貴重書であることは言うまでもない。残念なことに、いまだに活字化さえされていないのである。こうしたことから、『礼儀類典』というものは完成当初から広く出回ったということは全く想定できず、また、一部を抜き書きされることはそれなりにはあったが、全巻揃えてという形では、まことに恐れ多いということであったらしい。
では、いったいなぜこのような書物が稽古有文館に所蔵されていたのであろうか。実は目録の片隅に小さく「五百十四金百両」と書かれている。推測ではあるが、幕末から明治に活躍した河本家一二代目当主の伝九郎通繕かその周辺の人物が、五一五巻五一四冊(首巻と目録が合巻)のこの『礼儀類典』を「金百両」で古本業者から購入した可能性もある。つまり、幕末の混乱期に及び、財政が緊迫した大名などから流出し、それを、当時強大な経済力を持ちつつあった河本家が、尊王攘夷の思想的基盤の根拠とするため、また平安文化の「みやび」な世界を地域に確立するため、貴重なる宮廷儀式書を買い求めたと考えられるのである(6)。
(4)仏教
六〇種一三七冊が確認されている。そのうち、正徳四年(一七一四年)の奥書を持つ『雨中夜話』は近世の仏教啓蒙書である。同書は、稽古有文館と前田家尊経閣文庫にしか写本が存しないものであるが、稽古有文館本は上巻のみで、下巻が欠落している。
(5)神道・国学
一六種七九冊が確認されている。『宗忠大明神御伝記』は黒住教成立に関する写本であり、地域性を窺わせるものである。また、『玉久志希』『大道或問』『神道俗枝折』などは、河本通繕の写であり、河本家による書写活動が垣間見られる資料となっている。
(6)科学・技術・産業・医学
二九種五七冊が確認されている。近世の版本がそのほとんどであるが、数学では『洋算早学』、農業では宮崎安貞著『農業全書』、医学では『医指』、建築では『武家雛形』『数寄雛形』などがある。
(7)経済・法律・政治・軍事
四五種八七冊が確認されている。『十七憲法註』などの古代法制に関するものから、『佛蘭西国条約並税則』『亜墨利加国条約並税則』などの幕末期の外交・貿易に関するものまであり、興味深い。
(8)辞典・事典
二六種一二八冊が確認されている。『倭名類聚抄』など古代の辞書もあるが、多くは近世に刊行されたものである。漢籍に『康熙字典』四〇冊がある。
(9)書誌・日録
一二種一〇七冊が確認されている。『日本書籍考』『群書一覧』などは、近世の出版状況が理解できる資料として、興昧深い。漢籍に『欽定四庫全書総目』六三冊がある。
(10)書道
三四種七七冊が確認されている。ほとんどが、書道の見本である。『六書通』『三体千字文』『行書千字文』などがある。
(11)語学
一〇種二九冊が確認されている、そのうち『詞のやちまた』は本居春庭の著作で、文法に関する書物である。この『詞のやちまた』は、既述の『百番歌合』の判者の言に表され、文法の間違いを正す根拠になっている。
(12)文化・趣味・絵画
四三種一二七冊が確認されている。料理の本である『江戸流行料理通』、囲碁の本である『置碁自在』、茶道の本である『茶道筌蹄』、占いの本である『易学啓蒙』、彩色印刷の画書『芥子園画伝』五冊、『芥子園伝三集』六冊など幅広い領域の書が並んでいる。
(13)地理・地誌
二三種七五冊が確認されている。啓蒙のための地誌である『万国地誌略』『日本地誌略』などの版本や『因幡民談記』『因伯村名附』などの地域に関する書物がある。
(14)書簡・書状
三種六冊が確認されている。
(15)教科書・教養・往来物
五二種九〇冊が確認されている。『作文自在』『消息文例』などの作文術の本、『江戸往来』『万国往来』などの往来物、『女大学』『女諸礼綾錦』などの女訓書、明治期の小学校で使われた教科書類が並ぶ。
(16)漢籍(思想)
一三六種七三九冊が確認されている。『論語』『孟子』『中庸』『大学』などの漢籍とその注釈が多く残っているのは、幕末から明治にかけて、稽古有文館が教育機関であったことを物語るものである。藩校風に名付けたその館名(7)も気になるが、実際に武家のごとく儒学を教授することによって、教育機関の役割を達成していたと考えられるのである。数百冊に及ぶこれらの書物は、こうした稽古有文館の歴史を知らしめるものとして扱わねばなるまい。
(17)漢籍(歴史・伝記)
二三種四〇六冊が確認されている。『戦国策』『十八史略』『蒙求』などの史話と、その注釈書である。
(18)漢籍(詩)
一四種一〇八冊が確認されている。『文選』『唐詩選』などがある,
(19)日本漢文・漢学
七三種一九七冊が確認されている。『山陽詩鈔』『日本詩抄』『今世詩抄』『東湖先生遺言』などがある。
三、蔵書の特徴について
稽古有文館の蔵書の特徴として言えることは、地方在住の民間のものとしては、極めて大規模な蔵書であるということである。また、江戸時代の版本がその多くを占めるとはいえ、貴重本、稀少本も多く含まれている。蔵書の種類も、既述のように多岐にわたっており、河本家歴代当主の知的好奇心の強さを垣間見ることができる。蔵書の収集過程については不明なことが多いが、江戸時代中後期から収集を開始したものと思われる。また、幕末期、十二代河本通繕の収集が莫大な量であったことが、本箱や蔵書の書き入れなどからわかる。明治、大正期の収集の後、いくらか落ち着きを取り戻しつつ、現在にいたるが、古典籍については、戦後購入した痕跡はない。ただ、残念なことに、その保存状態は必ずしも良好ではなく、虫欠、虫損、腐食などが深刻なものもあり、今後はその管理が問題となっていくであろう(8)。
註(1)この目録については、明らかな間違いがあり、ここで訂正をしておきたい。なお、本文中の種類ごとの冊数は訂正後のものである。
・四五の「聖奏百人一首」は、「聖泰百人一首」に訂正する。
・八六の「誹諧三十六歌仙」は、上下二冊の組。上巻二冊、下巻一冊存する。
・一〇三の「委那嘉布留解」は、「委那嘉布馬解逗」に訂正する。また、上下二冊のうち、上巻一冊は欠本である。
・一〇四の「藤乃杖」は「花乃杖」に訂正する。
・一〇九の「気乃賀」は「菊乃賀」に訂正する。
・三三一の「援山先生書札」は、 「●山先生書札」に、種類を「書道」に訂正する。
・三三二「の「援山年中帖」は、 「●山年中帖」に、種類を「書道」に訂正する。
・五一九の「文章軌範譯語」は、種類を「漢籍(思想)」に訂正する。
・五二〇の「文章軌範評林」は、種類を「漢籍(思想)」に訂正する。
・五二一の「正文章軌範評林註釈」は、種類を「漢籍(思想)」に訂正する。
・五二二の「続文章軌範評林」は、種類を「漢籍(思想〉」に訂正する。
訂正については、同志社女子大学の吉海直人氏の御指摘を受けた。感謝申し上げたい。(2)流布本である圓珠庵本の転写本と思われる。真名序が仮名序に変わり巻頭に置かれている点、珍しい八分冊本である点などが興味深い。近世中後期の写であろうか。
(3)『平家物語』整版本の中でも、明暦二年刊本は、最初の絵人り本である。挿絵が格別に豊富であり、その後の『平家物語』の整版本のモデルとなった。稽古有文館蔵本については、虫欠が多いのが残念である。
(4)『国書総目録』によれば、『太平基軍伝』は二編六〇巻で、国立国会図書館、宮内庁書陵部(二部)、大阪府立図書館、旧浅野図書館、旧海軍兵学校、旧三井文庫の所蔵となっている。しかし、浅野図書館、海軍兵学校、三井文庫については、戦災または火災等により、焼失もしくは所蔵不明であるため、現在は見ることができない。また、『古典籍総合目録』によれば、福岡県立伝習館高等学校対山館文庫、北九州市立中央図書館にそれぞれ所蔵されている。稽古有文館蔵本の発見により、少なくとも七部の現存が確認できる。(5)『菅家世系録』については、二〇〇一年五月一二日、「玉田永教著『菅家世系録』の資料的価値について」として、平成一三年度中古文学会・春季大会(於専修大学神田校舎)にて冂頭発表した。また、「近世道真伝の変貌と氷解―玉田永教著『菅家世系録』をめぐって―」を『物語研究』二号に掲載した。
(6)『米子工業高等専門学校研究報告』三六号に、「稽古有文館蔵『礼儀類典』図絵」として、図絵三巻のみ写真にて公開した。また、『礼儀類典』の実物は二〇〇ニ年一一月一日から四日まで、河本家にて一般公開された。
『礼儀類典』の発見に関しては、『山陰中央新報』二〇〇二年一〇月二六日付、『朝日新聞』鳥取版同年一一月一日付、『毎日新聞』鳥取版同年一一月一日付、『読売新聞』鳥取版同年一一月二日付、『産経新聞』鳥取版同年一一月二日付で記事となり、NHK鳥取でも、同年一一月一日朝、この件についての放送があった。
また、『山陰中央新報』二〇〇三年一月一七日付にて、主に『礼儀類典』について述べた拙稿「稽古有文館と古典籍」が掲載された。同様な内容のものは、専修大学校友会総合情報誌『アドニス』三〇号に、「古典籍との出会い―稽古有文館(河本家〉蔵書について―」としても掲載された。(なお、『ぐんしょ』続群書類従刊行会にも「稽古有文館(河本家)蔵古典籍についての覚書」として若干の論考を掲載する予定である。)
(7)「稽古有文館」の館名は、幕末期に名付けたらしいことが、資料から窺い知れる。滋賀県の彦根に「稽古館」という藩校があったが、こうした藩校の雰囲気を踏襲しようと試みたのであろう。河本家には現在でも「稽古有文館」の書が飾られている。
(8)蔵書の大半は、研究のため一時期米子高専図書館に保管されていたが、現在は、すべての蔵書が河本家によって保管されている。
(付記)本稿は、二〇〇二年一一月三日、河本家にて開催された講演会「稽古有文館(河本家)蔵書の世界―徳川光圀編『礼儀類典』を中心にして―」の内容を基にしている。また、本稿の制作にあたっては、河本家当主の河本雅通氏と同保存会の小谷惠造氏の多大なる支援を得た。記してその御厚意に謝意を表したい。