北野聖廟霊験記第壱

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北野聖廟霊験記第壱
 目録
一 池上七九郎越前出奔之事
  幷七九郎熊野湯峯(ゆのみね)に至る事(九オ)白紙(九ウ)
 
北野聖廟霊験記第壱
 
 池上七九郎越前出奔之事
 幷七九郎熊野湯の峯へ至る事
 
越前国足羽(あすは)郡福村といふ所に八幡宮のやしろあり。此神職池上七太夫といふもの一子ありて、名を七九郎といふ。幼少の時よりこゝろ悪党にして、其家職をきらい(十オ)角力剣術に心を尽し、成人にしたがひ力量他にすぐれ、このめる道とて、剣術やわらなど抜群に上達して、近辺にあぶれあるきて、人をてうちやくし、其上に博奕を好み、無法の所行のみなれば、父七太夫異見すれ共聞いれず。是非なく勘当して追放せし故、無宿となりて近在(十ウ)近郷に押入無体に金銀を奪ひ取、あまつさへ八幡宮社内奉納の品々を盗みけるゆへ、其品を尋るに、一伯公御在世の節奉納有し品々残らず盗取けるゆへ、大守ゟ急度御吟味ありて、七九郎が有所へ捕手を遣わされしに、大胆不敵の悪党ものにて、刀をぬき多くの捕手に疵を付、なんなく其(十一オ)場を切ぬけて、行方知れず逃うせける。是によつて太守より御領他領の差別なく配符をもつて御せんさく有ゆへに、七九郎身の置所なきまゝに、上方さして逃来り、大和国の山奥に至り、山又山を越て、紀州熊野の山奥にわけ入て、
しばらく身を隠し居たりしが、其処は大和国大峯(十一ウ)山上より掛ぬけの道筋なれば、五年に一度か三年に一度かは左様の行人あつて通るなり。其外は木樵山賤(きこりやまがつ)も来らず。谷を隔て板ぶきの家間ばらにあれども、此所迄は詮義の配符も廻らず、気づかひはなけれ共、食物に事をかき、買ふべき家もなく、越前にて盗みし金子懐中にあれども、売人(うりて)なければ是非(十二オ)もなく、木の実栢(かや)の実を取てくひて、当分飢をしのぎけれ共、兎角腹に満かね、中々爰に久しく止(とゞま)りがたく、去(さる)によつてそろ/\と谷へ下りて見れば、何を業とするとは見へねども、板葺の家一二軒山をへだてゝ住居せり。七九郎とある家の門口に立より内をさしのぞき見れば、大き成囲炉裏に檮(いす)の(十二ウ)生木(なまき)の大き成をもやして鑵子(くわんす)にて湯を沸して居たり。七九郎申けるは、「往来の修行者道にふみまよひ来りたり。此四五日は煎(に)たるものを喰ざれば、甚だうへに及びたり。何にても食物すこし玉はるべし。あたひは何ほどにても遣わすべし」といふ。主七九郎が体を見るに、国を出るより月代もせざれ(十三オ)ば、惣髪のごとく、身には垢づきたる布子を着て、腰に一刀をよこたへ、風呂敷づゝみをせおひければ、山伏なりと心得て、「御坊は大峯より掛ぬけを召るゝか。然らば何ぞ食物用意は召れぬぞ。爰にてはいか程価を出されても五穀の類ひはなし。鳥獣をとつて食物に致し候」と申ゆへ、七九郎も是非なく、(十三ウ)「然らば御自分がたの食物を我等にもあたへ給へ。此四五日食事に絶候得ば、甚飢に及びたり」といふにより、主猪の子の肉を鍋に入て煎(に)て喰(くわ)しける。是にて少し気力付、扨は此所は大みねより熊野へかけぬけの道筋といふ事を知り、それゟ又山深く入て、其所はみな/\猟師にて鳥獣をとる事を得たれば、是を(十四オ)ならひて、己も鳥獣をとりて山にて焼てくらひ、半年計り山奥に居たりて、つく/゛\と思ひけるは、我国元におひて太守の役人に手向ひし切抜て立さりし事なれば、定めてきびしく詮義有べし。見付られなば、召捕れ刑罰に行はるゝ成べし。伝へ聞、大峯山より熊野へ掛抜の(十四ウ)道筋は、天狗の住家にて、山伏修行の場所と聞。迚も我命はなき物なれば、何卒天狗に近より術を学び、命を遁るゝ法を得るか、又は我悪事をなせし者なれば、引裂捨らるゝか、二ツ一ツにして見んと思ひて、木の実栢(かや)の実を少し貯へ、猶山奥に入天狗の住家と聞へし杉の大木生茂(おいしげ)りたる所に座して(十五オ)居たり。むかし義経は牛若たりし時、鞍馬山に入て天狗に剣術を学び給ひて、天が下に名をあらわし給ふ。我も一命にかけて、何卒術を学び得んと思ひ込だる心の内こそ不敵也。惣じて人間は天地の徳そなはつて万物の霊なれども、自己の欲心に覆われ天真を眛らます、いか成悪逆無道の者と(十五ウ)いへども、おのれが強気さかんの時は、自分の霊倶(とも)に組して、忽ち罰の当る事なし。然れども自然と冥罰を受る事は四時のうつりかわるがごとし。夏至の長き日出るも、いつも短く成とも覚へず、今日もくれ明日も過行て冬至の短日に至るがごとく、目には見へねども其報ひを請る事天地運行に等しく、善悪の報ひ(十六オ)も又然也。或ひは親に不孝主に不忠をなし、神社仏閣の器物を盗むなど、たちまち目眛らみ命をうしなふなど的然(てきぜん)の事はなけれども、終には日月のとがめをうけて身を亡し刑をかふむる事なり。神仏すらかくのごとし。況や天魔外道鬼魅の類ひは、おのれ強気なれば忽ち災ひをなす事なしと(十六ウ)いへども、其強気の心に会託(ゑたく)して其身自滅の基ひを起す事、代々ためしすくなからず。七九郎は杉の大木の下に座し、天狗にても来るかと、昼夜寝もやらず伺ひけれども、さしてかわりし事もなし。何の怪しき事もなければ、労(つか)れて樹の根をまくらとして寝入たり。然るに夢中に、「七九郎/\」と呼声に、(十七オ)其かたを見れば、空中に声ばかりして、「せおひしものは如何に」といふかと思へば、夢は覚たり。七九郎不思議に思ひて背負し風呂敷包みをあけて見れば、八幡宮の社内にて盗みし中に錦の袋に入し九寸五分の守り刀に御紋付あり。是をつく/゛\と思ふに、誠に是は一伯公御在世の節奉納(十七ウ)ありし大切の物なり。是をもつて蜜(ひそか)に諸人に見せて欺きおどさば、金銀をねだり取べし。且は立身の種にも成べしと思ひ、天狗の知らせならんと心に会得して、夫より山を出て里に至り、食物を求めて又山に入、かくのごとくする事一年余りに成ければ、最早詮義の沙汰も納りぬべしとおもひて、髪は(十八オ)のびて惣髪と成て、山奥を出て熊野の本宮に来り、湯の峯にいたり、「それがしは北国方の浪人なり。入湯の為に入来りし」とて湯の峯に逗留して、身の納りを工夫して居たりし時に、紀州那賀郡の郷士岩村喜蔵といふもの、是も湯治の為に来りしが、生得強勢ものにて、武術を好み(十八ウ)し者なるが、七九郎が体を見てげるに、大男にして眼ざし常ならざるを見て、近付に成て其子細をたづねしかば、七九郎申は、「某しは親属生国越前の者なり。子細有て浪人し、一伯公退去の節より自分の在所に引籠り居候」とて、彼にしきの袋に人し守り刀を出して、「是は親ども拝領有し大(十九オ)切の御守り刀なれば、肌身放さず所持致すなり。我も武家の奉公望む身のうへなれば、諸国武者修行を致して爰に来り、幸ひに入湯いたし候なり」と語りければ、岩村喜蔵右の守り刀を見て、よし有浪人なりとおもひて大きに悦び、元来武術を好める事ゆへ、甚だ心に叶ひ、「某は当国那賀郡(十九ウ)の者なり。是より程近ければ、我方へも来られ逗留し給へ」と、二廻り入湯して、其間に至極入魂(じゆこん)に語り、喜蔵入湯すんで七九郎を伴ひ我家に帰りける。扨七九郎は改名して石見三郎左衞門と名付、段々剣術のはなしになりて、石見は元より家職をきらひ剣術を好み、真影流の極意を得て、太刀鎗(二十オ)棒やわらの術までも残る所なく修練して居けるゆへ、喜蔵大きに悦び馳走して留置ける。此岩村は郷士なれども、数年無録にてくらし尾羽うちからし、身上裃(かせぎ)に出んと思ふ折ふし、三郎左衞門に出合、見る所一曲(くせ)有者と思ひ、仕官のたよりにもと、我家へ同道したり。石見は元来詞をもつて(二十ウ)人をあざむき、守り刀をおのが素性におどし込で、何れに成とも足溜りにして立身の便りにせんものと思ひて、先は此家に遊客と成て居けるなり。(二十一オ)