以上のようにして蓄積された蔵書全体の構成を見ると、まず和歌、俳諧の書が際立って多いことがわかる。即ち全六五〇点のうち、和歌が五八点、俳諧が一六六点を占める(ただし刊本の歌論書、俳論書などと共に当家の人々による和歌、俳諧の草稿なども一括して数えている)。そして他の文学ジャンル(漢詩文、随筆、紀行、実録、謡曲、浄瑠璃など)、さらに文学以外の各領域(歴史、語学、漢学、仏教、神道、囲碁、将棋、絵画、華道、書道、刀剣、料理、教育、教訓、医学、薬学など)にまで広く及んでいる。
このような蔵書蓄積の背景として、一つには、藩の本陣をも命ぜられる格の商家に求められる教養という点があったと考えられるが、それに加えて、近世出雲の地で特に和歌・俳諧を中心とした活発な文芸活動が行われ、これに手錢家の人々が加わったということが関係していると思われる。そこで次に、手錢家歴代の文芸活動の跡を辿ってみる。そのピークは二つあり、最初は三代季硯~五代有秀の時代、次は七代有鞆の妻さの子の時代である。