三 元禄期―風水の俳歴

 談林期から活動を見せる出雲俳人に、風水(?~宝永六年)がいる。風水は、日置(ひおき)氏。別号、空原舎。出雲国日御碕(ひのみさき)の神官で、とくに鬼貫と親交があったことが知られている。その活動を概観するため、当時出版された俳書への入集履歴を列挙してみよう。
延宝六年(一六七八)
・不卜編『俳諧江戸広小路』(七月)に発句一句(「武蔵」「江」「風水」)入集。
延宝九年(一六八一)
・似船編『安楽音』(三月)に発句一句(「武蔵国同所(江戸)」「風水」)入集。
貞享二年(一六八五)
・清風編『稲莚』(正月序)に、発句四句入集(「雲州大社 風水」)。
・調実編『俳諧白根嶽』(正月序)に跋(「空原舎風水書」)・発句二句(「雲州 風水」)入集。
・調和編『誹諧ひとつ星』(十二月序)に、序(「空原舎風水序」)・発句四句(「風水」)・三吟歌仙一巻(風水・調和・心水)入集。
貞享三年(一六八六)
・江戸滞在。『風水ちり』に次の句が載る。「閏三月三日 けふも汐干よとて品川の沖に遊ふ/門跡は山より高花の浪」(『風水ちり』六丁裏)
※この前後、閏三月があるのは、この年のみ。
貞享四年(一六八七)
・羊素編『浮月』(六月奥)に、発句(「風水」)・残存十二句一巻(風水・立志ほか)・世吉一巻(立志・風水ほか)入集。
※伝本(洒竹文庫蔵本)破損のため、全貌は不明。
貞享五年(一六八八)
・不卜編『続の原』(二月序)に、発句二句(「風水」)入集。桃青(芭蕉)の判を受ける。
元禄三年(一六九〇)
・団水編『誹諧秋津嶋』(十月跋)に、発句一句(「出雲 風水」)入集。
・灯外編『誹諧生駒堂』(十一月跋)に、発句四句(「雲州 風水」)入集。
・順水編『誹諧破暁集』(十一月刊)に、発句一句(「雲州 風水」)入集。
元禄四年(一六九一)
・順水編『誹諧渡し舩』(正月刊)に、発句二句(「雲州 風水」)入集。
・江水編『元禄百人一句』(三月序)に、発句一句(「出雲 風水」)入集。
・轍士編『我か庵』(六月序)に、発句一句(「雲州 風水」)入集。
・分十編『誹諧よるひる』(十一月序)に、発句一句(「出雲 風水」)入集。
元禄五年(一六九二)
・幸賢編『河内羽二重』(正月刊)に、発句一句(「出雲 風水」)入集。
・季範編『きさらぎ』(二月序)に、発句一句(「雲州 風水」)入集。
・都水編『誹諧風水ちり』(四月刊)に、発句九〇句・和歌五六首・連歌発句三首・漢詩一首(作者名不記)・連句二四組入集。
元禄六年(一六九三)
・壺中編『俳風弓』(九月刊)に、発句一句(「風水」)入集。
元禄七年(一六九四)
・嵐雪編『或時集』(九月跋)に、発句一句(「風水」)入集。
・不角編『足代』(元禄七年奥)に、発句一句(「風水」)入集。
※ただし、同名異人の可能性あり。
元禄十一年(一六九八)
・艶士編『みづひらめ』(六月刊)に、発句一句(「雲州 風水」)・三吟歌仙一巻(風水・艶士・立志)入集。
元禄十三年(一七〇〇)
・笑種編『続古今誹諧手鑑』(十月序)に、発句一句(「出雲日置主殿 風水」)入集。
元禄十五年(一七〇二)
・巨海編『誹諧石見銀』(五月跋)に、発句二句(「雲州三崎 風水」)入集。
元禄十六年(一七〇三)
・梅員編『岨のふる畑』(五月刊)に、発句一句(「雲州三崎 風水」)入集。
・集義編『誹諧遠浅』(九月刊)に、独吟十六句(風水、「附録」)入集。
※散逸書。
元禄十七年(一七〇四)
・座神『風光集』(二月跋)に、発句一句(「風水」)入集。
宝永元年(一七〇四)
・艶士編『分外』(三月跋)に、跋(「風水書」)・発句二句(「風水」)入集。
宝永二年(一七〇五)
・風水編『隠岐のすさび』(六月以降成)に、発句二九句・歌五二首・独吟八句(風水、「手向の百韻/下略」)入集。
・百里編『銭龍賦』(九月跋)に、三十七吟百韻(杉風・嵐雪・其角・曽良・風水ら、「芭蕉菴眺望」)入集。
宝永三年(一七〇六)
・梅員編『猫筑波集』(二月序)に、発句三句(「出雲 風水」)入集。
・貞義編『心ひとつ』(三月序)に、三吟三句(風水・貞義・柳水)入集。
宝永四年(一七〇七)
・江戸に向けて旅行中、京都で鬼貫・立吟に会う。
「宝永四丁亥のとし出雲風水東武に下りなんとて京に登りけるにあひて/八雲立京に秋立冨士に立 鬼貫/空に一字の衣かりかね 風水」、「皇都名月の吟/禁中の月見に行ん笊さけて 風水/今に酒か酒は年/\新しき 立吟」(『すがむしろ』)
・百里編『風の上』(十一月奥、嵐雪追善集)に、発句一句(「風水」)入集。
宝永五年(一七〇八)
・東北旅行より出雲へ帰る。『出雲俳句史』につぎの真跡短冊の図版が載る。「宝永五年東北旅行より郷に帰りて/国々の春待して山の雪 風水」(『出雲俳句史』口絵「大社 島重夫氏蔵」)
・秋色編『斎非事』(二月跋、其角一周忌追善集)に、発句一句(「風水」)、十八吟百韻一巻(沾徳・貞佐・風水・青流・沾洲ら、「非時/右百院深川於芝山庵各満座」)入集。
・「誹諧之連歌」(十一月成)七吟百韻(風水・鶏賀・鬼貫・路通・原水・雨伯・之白・執筆・可白、「宝永五年霜月五日/誹諧之連歌」)に一座。
※懐紙四枚。柿衞文庫蔵。風水を京都の鶏賀亭ニ迎えた歓迎興行。
・百里編『とをのく』(十一月跋、嵐雪一周忌追善集)に三十六吟歌仙一巻(露沾子・沾徳・沾洲・青流・杉風・破笠・風水ら、「師雪山霊尼かために薦抜の一章あり…」)入集。
・和英編『〔万句短冊集〕』(宝永五年冬成)に三吟三句一巻(風水・和英・山夕「春 第二のむすひ」)入集。
宝永六年(一七〇九)
・九月十九日没(『出雲俳句史』に日置家の過去帳によるという。なお、『新選俳諧年表』(書画珍本雑誌社、大正十二年十二月)では、九月二十二日没とする)。辞世「人間の水はそら/\秋の風」(『すがむしろ』)
享保十二年(一七二七)
・追善集『すがむしろ』刊行。十里香松峰の序に「空原舎風水は出雲国 日御崎の神官也。いにし年神務の事に物して関東に往来すること年あり」云々とあり、江戸との往来が頻繁であったことを記す。
年次不明
・鬼貫の『続七草』には、風水が来山と同道して鬼貫に初めて面会に来たとの記述がある。(岡田利兵衛『鬼貫全集 三訂版』角川書店、昭和五十三年七月)
 右のうち、『俳諧江戸広小路』と『安楽音』には武蔵江戸住として記載されるので、同一人物であるか検討の余地はある。ただし、『稲莚』の貞享元年からとしても、没年の宝永六年までは二十五年の俳歴となる。三都をはじめ各地の俳人たちと交渉があったことも明らかである。つまり、風水は、俳諧史上で重要な「元禄俳諧」の担い手の一人である。芭蕉や素堂、信徳や湖春、西鶴や鬼貫、其角や嵐雪といった当時の著名俳人たちと接点を持っていたと推測される。風水の活動は、出雲という地域に限定されるものではなく、当時における普遍性を備えた一流のものであったと言えよう。