はじめに

 楽山焼と布志名焼は併せて「出雲焼」とも呼ばれるが、その成り立ちから志向するところまで、全く異なっていると言っていいだろう。
 しかし、茶人としても、数寄大名としても時代を代表する存在の一人である、松江藩七代藩主 松平治郷(一七五一~一八一八 号・不昧 以下不昧公)が関わったことによって、どちらも一気に洗練され、優れた茶陶の数々を生み出すこととなった。
 そこで、館蔵資料を基に、不昧公と茶陶という視点から出雲焼について、考えてみたい。