終わりに

 出雲焼の流れを辿ると、不昧公の存在の大きさに改めて気づかされる。
 不昧公の功罪については、これまでも様々に検証され述べられてきたが、少なくとも、出雲地方の文化の多くは、不昧公によって整えられたといってよいだろう。
 布志名焼も長岡住右衛門貞政以降の楽山焼も不昧公が育てたように、たった一人の指導者の美意識が、その後二百年あまり続く地域文化の礎を築いたと言っても過言ではないのだ。
 一方で、再興以前の古楽山焼については前述の通り、曖昧なままおかれ今も不明な点は、多い。
 館蔵陶磁器資料の調査をここ数年続けているが、高麗茶碗として伝来してきたものの中に、気になる茶碗が十点あまり出てきた。
 これらの茶碗の多くは、全体的な姿や雰囲気は実に高麗茶碗らしいのだが、細部を見ていくと明らかに朝鮮半島で作られたものとは違い、特に土や作行きにおいて、むしろ所蔵する権兵衛や半六の諸作品に近い印象を受けるのである。
 これらが楽山焼であるとは断言できない。しかし、数の多さや作行きの共通性から、同一の人物(或いは工房)、同一の時代に作られたとみるのが妥当であろうと考えると、楽山焼ではないとも言い難い。
 古楽山の実像とともに、今後、解明していかなければならない大きな課題である。
           公益財団法人手錢記念館 学芸員 佐々木杏里
 
  [参考文献]
 『如泥と権兵衛』 太田直行 一九五四年
 『島根の陶窯』 伊藤菊之輔 一九六七年
 『高麗茶碗名品展』 田部美術館 一九九三年
 『古楽山茶碗と水指』 田部美術館 一九九四年
 『松平不昧の数寄―「雲州蔵帳」の名茶器―』 畠山記念館 二〇〇一年
 『京焼』 京都国立博物館 二〇〇六年
 『出雲焼』 出雲文化伝承館 二〇一四年
 『伝世品に見られる布志名焼の刻印と銘款』 阿部賢治 二〇一四年
 
  [付記]
 企画展開催及び本稿執筆にあたり、西田宏子、鈴木裕子、阿部賢治、長岡空郷各氏より多くのご指導、ご助言をいただきました。ここに記して御礼申し上げます。