はじめに

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 『あきのせみ』は広瀬百蘿の追善集である。百蘿は、大磯義雄氏が、『岡崎日記と研究』(未刊国文資料刊行会、昭和50年10月)、「高見本『岡崎日記』『元禄式』の出現と去来門人空阿・空阿門人百蘿」(『連歌俳諧研究』87、平成6年7月、のち『芭蕉と蕉門俳人』八木書店、平成9年5月、所収)で報告されたとおり、京都で去来の甥の空阿(大礒氏は去来の庶子かと推測されている)から伝授を受け、それを出雲に持ち帰った人物である。
 百蘿は出雲大社の社家(千家家の代官役)に生まれたが、その母は手錢家の二代目当主である茂助長定の娘であった。また、『あきのせみ』に「門人」として序文(「枕言葉」)を寄せ、百蘿の肖像画を描いている衝冠斎有秀は、手錢家の五代目当主官三郎有秀である。有秀は百蘿の息である日々庵浦安とも大変親しかった。本書が手錢家に伝来したのは、そうした両家の深い関係があってのことである。