〈翻刻〉

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   枕言葉
画て西施をなす。美なれども悦ぶべからず。刻て桃李をなす。似たれども食ふべからず。されば、道の正異を勘弁して邪路に踏まよはざるを誠の明師とは仰くべきなり。粤に鳳尾斎先生は若かりしより風雅に富るものから、西は松浦がた、東は清見潟をも遠しとせず、芳野、初瀬の花に笑ひ、須磨、更科の月をかなしみ、古翁の」(1オ)風流を慕ひて、正風の骨髄を探られけるは、みそぢあまりのむかしになん。はじめ都に十とせばかりの春秋をおくり、夏草のしげきを分て千代の古道の跡をもとめ、其後門人のまねきによりて芸備のかたにも行かひつゝ、西南の漫遊もつきたればと、ふたゝびすがのふるさとに帰らるゝに、門葉日々にまし、月々にさかへて、句をこひ評をねがひて遠近の好士むれ来るより、閑居一日もしづか」(1ウ)ならず。さるをまた、東海道の一筋を見ざらむはと古翁のこと葉もわすれがたく、かつはあめつちのうちにたぐひなしてふ富士を見ずしてしなんことも口おしとて、天明はじめの夏、六十になん/\として、あづまの旅に思ひたてるを、とゞむる人のなきにしもあらねど、よしや旅の世にたび寐してと慈鎮和尚の感慨も、いづくの土か我を待らんと西行法師の歎息も、此人々には限るべからずとて、時しらぬ」(2オ)雪見にゆかれけるが、今は長途のつかれもやすからずと、閑窓にかいこもり、老を養ふつれ/゛\には、いにしへ今のふみを耕し、みづから蓑笠の翁とあらため、しのびかくれて、しづかならんとすれども、公子のもとめ、もだしがたくや、終に
国造のみたちにまうでゝ古道をとかるゝに、からのやまとの隈々まで掌を見るがごとく、一事滞ることなきを、ふかくほめさせ給ひつゝ、時習館を」(2ウ)たまはり、長く君の師範ともなし給ふに、ことしきさらぎはじめより、翁の心地例ならず、文月末の四日、黄泉に杖をひかる。やから、はらから、門弟すら遠近よりつどひ来りて、野辺の送りにぎ/\しく、踊躍築埋こと終れば、西の蓮の寺にいこもりて、手向の文台を催しけるに、終に七日に及びぬれば、令子浦安、集書して是を神光道場に納るとて、其おもむきをしるせよとあるに、いなみがたくて 」(3オ)筆をとる。抑、師が誹諧は、いにしへ十哲の意気によらず、古翁の正風を見ひらき給ひし古今集のひなぶりにして、神道をもて父となし、歌道をもて母となせし、日の本の本理正道なり。古翁は元禄七年の〓化、師は享保十年の生れなれば年暦四十四年を隔つといへども、詞のはしに風骨を探りて、辛崎、古池の妙所を悟られけるは、我道の中興にして、尤信ずべき先達也。孝子、其」(3ウ)志をつぎて、ともに正風の絶せぬこそ、古翁の本意にも叶ふならめ。師、常にいひけらく、我若かりしより風雅に遊び、詩歌連誹にわたりて其大むねを考ふるに、詩はから国の風雅なれば論ずるに及ばず。和歌連歌は高貴のもて遊びにして、宮歌ともみやぶりともいへるにや。されば、是をもて遊ぶは其恐れ少ながらねば、誹諧をもて教誡のはしとすべしと。かの古今集に体品を分ちて、是をひな歌ともひな」(4オ)ぶりともいへり。古翁は爰に眼をひらきて、正風の奥義をきはめらる。我徒、もし風雅に遊ぶとも、必しもみやうたのことをいふべからず。唯、ひな歌をもて遊ぶべし。歌連誹、其名異なれども、もとはひとつのやまとうたにして、ともに皇国(ミクニ)の教誡也。たま/\世間の誹風を見るに、あるは和哥に〓し、あるは連哥をそするの意気あり。古翁の本意にあらざれば、かりそめにも」(4ウ)和哥連哥を疎隔するものは、正風の人とはいふべからすと、旦夕にしめされたり。同門の輩、長く風徳をわすれまじきがため、筆のつゐでにかくはしるし置ものならし。
       門人
         衝冠斎有秀書
               [印][印]        」(5オ)
 (白紙)                        」(5ウ)
蓑笠翁終焉之記
千里の道も一歩よりはじまり、万仭の山も塵芥よりなれるとかや。なるとならざるは、げに怠るとつとむるとにあり。我師、みの笠の翁は、若冠(ママ)の頃より和学に志し、官袴を辞して都にのぼり、千代の古道の跡をしたひ、東南西北に吟会し、古翁の風骨をも探りて」(6オ)月花に遊ぶこと、既に五十年なり。いづれのとしにかありけむ、雲の上人の仰ごとありて、和哥の主宰となし給ひけれども、翁は常に名利を好まず。唯そのひとりをつゝしみて明暮故実を糾明し、筆記せるもの数百巻に及べり。されども、是を書店に鬻ぎ、好士をまねきて活計のたよりとすることをなさず。故に、諸国の風客問へども答へず。」(6ウ)ふかく蓬戸を閉て、徳光をつゝむといへども、爰にあればかしこに聞えて、風流をしたふもの、指を折に限りなし。さるを、鶉月はじめより、飲食心にまかせず。良医手をつくすといへども、更にそのしるしなく、夏もなかばを過る頃より、酷暑のなやみ少からねば、門人厚志の輩、夜に日につどひて力をそふるに、○起直る身の」(7オ)むつかしや雨の萩、○床つめに啼音くらべむきり/゛\す、などありしは、過し十一の夜の吟なり。廿三日、病床を伺ひよるに、かねてやしなひのよければにや、ことし七十一歳にして顔色うるはしく、心すくやかなりしも、さすがにより来る老の波に、今はたのみすくなく見え侍れば、孝子浦安をはじめ、をの/\仏神の冥助を」(7ウ)祈るのみ。翁、目を見ひらきて、○時来りいつれか先に秋の蝉、と高吟し給ふ。令子、筆をとりあへず、○月をまつ間のかぜのうき雲、とありければ、翁、莞爾とうちゑみ給ひぬ。是、生涯の笑ひ納めなりとをもしらず、をの/\観(ママ)喜のおもひをなしつるに、廿四日、亭午の頃より、燈のきゆるがごとく、いとも静にみまかり給ふ。一座の」(8オ)嘆息いふばかりなし。扨しもあるべきことならねば、手に/\かくしまつるべき用意ぞなしにける。なをよみの山路のつとにとて、をの/\離別の思ひをのばへ、ともにひつぎのうちに納め、神光禅寺の松山をひらき、葬儀奠香の式などいとなみしは、文月二五日のことなりき。徳行を賞するは翁の心にあらざれば、かれこれを」(8ウ)書もらしつ。唯、風のたよりに、はせあつまる人/゛\の志しの至れるを感ずるのあまり、おろかなる筆を染て、霊前に手向奉るも、みな夢の世の夢なりけらし。
       門人
        松茂亭露麿敬書
              [印][印]         」(9オ)
 
     有秀敬画
 (肖像画 ※末尾の参考図版6を参照)
六月十二日、病床のまくらに此蝶ひとつ来りてとまれり。見るうちに横にこけたり。とりて見るに、すこしもうごかず。我をむかひに来りけるにやとおもひて
             百蘿
世を秋もまたでや夢のさめつらん            」(9ウ)
 
  時習館老人は、和漢のふみに眼をさらし、日本魂のますらおなるが、ことし秋七月黄泉の客となれり。嗚呼おしむべし、かなしむべし
花の夢のさめてはかなし月の蝶     潜龍
月花にむかへばおもふむかし哉     白玉
草に木におしむ光りを風の露     女繁子      」(10オ)
皆人の思ひやふかき秋の暮      女〓里
        森連
捨られし老の友なり露の蝶       達支
啼音をば人に残して秋の蝉       烏鵜
目にあまる泪や塚の草の露       嘉楽
踏分し露ふる道や文見月        佳凉
人のみかなかぬ虫なし草の原      一壺      」(10ウ)
消残ること葉の花や露の玉       思友
招けどもかへらぬ空やあけの月     竜玉
雲井まで名を上てゆく螢かな      こと
山彦の歎く泪歟槙の露         亀山
怠りは身のうらみ也葛の花       波光
塚に来て啼は床しや夜の鹿       竹芽
春秋や今ぞ身に知る風の音       亀上      」(11オ)
鹿は居ずあだにをれふす露の萩     壺外
歎けとて月日は来ねど玉祭       洗耳
秋水や袖からもちる萩の露       梅風
夢なれや別れし秋も一むかし      喜遊
おしめどももろき命や露の蝶      遊枝
啼ぬものはなかで哀れや秋の蝶     鳥鼠
        西連                 」(11ウ)
  秋の蝉の一句をつらねて、世を去たまひし一周忌に
秋の蝉声のしぐれも一めぐり      巴水
何事を塚に来てなく秋の蝉       文水
西にゆく道やあかるき月の旅      有風
人なくて守ながら身も案山子哉     巴友
身は露ときへても玉の光り哉      巴石      」(12オ)
朝貌や身を知る露は袖にちる      呂竹
啼虫の泪の雨となりにけり       雀子
        中連
  尊師みまかりたまひ、今も面影のたちさらぬを
いますかと仰げば空に月ひとり     琴左
吹風や行衛を見する萩の露       呉竹
在し世の俤ゆかし袖の月        みな      」(12ウ)
影かなし月はいつもの雲間より     巴柳
淋しさを跡に残して一葉かな      山虎
世にたぐひなき名残すや秋の蝶     音志
        立連
  翁の塚に詣て
石にまで光り残して露の玉       雪桃庵
今も物を問はゞ答へよ石の露      梅子      」(13オ)
落てなを目にたつ桐の一葉哉      寸苗
俤は月こそさそへ秋の空        扇風
うきことは夢にもならず秋の蝶     芦川
龍と化して雲は去けり秋の風      有秀
月花の夢は残して秋の蝶        露丸
        南連
  百蘿先生みまかり給ひしをいたみて         」(13ウ)
月清き空も手向の露時雨        しけ
焼香や庭にも蘭の芳ばしき       鷺橋
日ぐらしや汝も泪にむせぶかと     依水
行道の俄につらし雲の月        扶月
        知宮連
  一衣をもちゆるごとに紡績の灯びを思ひ、一食を用ゆる毎に稼稷の功を按ずと。まして師の恩、父母のいさをしをや。」(14オ)百蘿先生みまかりたまひ、孝子宇羅安のもとに申送る
蓑虫と共に啼なりきり/゛\す    黎光室里蝶
手を突て虫の音をきく石の上      凌雲
残る蚊のすよる所よ塚の奥       一釣
風に遊びし身も風にちる柳かな     飛鳩
常香に日あし尋ねつ霧の朝       竜池
染/\てちるはつれなき紅葉哉     波濤      」(14ウ)
鴉さへ秋はかなしく啼に鳧       魚村
きのふよりけふは鬱とし秋の雨     燕子
月影を汲て手向ん閼伽の水       文節
        古志連
名を知らぬ花にも泣や草の原      信風
きり/゛\す我は花野も血の涙     東廬
行秋に名はとゞめけり塚の花      吾友      」(15オ)
秋風の吹ちらしたるほたるかな     澄水
魂棚は月と花とになりに鳧       花叔
        神西連
かなしみは行も残るも秋の旅      不尺
はら/\と木末も露の時雨かな     三都良
燈籠もきえてかなしく盆くれぬ     玉佐
かへり来ぬ人の行衛や秋の風      百丈      」(15ウ)
白雲の行衛やいづこ秋の風       柳枝
蘭の香は世に残れども秋の風      里石
燈籠のきえて心のくらさかな      一勇
        篠連
はかなさや夢のうき世に秋の蝶     舞扇
皆人の袖の涙や露時雨         風便      」(16オ)
蓑虫の啼夜いやます泪かな       梅亭
        大津連
蓑笠の俤ゆかし雨の月         一宇
見し人のかたみや月の影かなし     芦條
        平田連
こぼれても露のいさをや野の錦     冠志
六斎や鐘きく毎に嘸念仏        春翠      」(16ウ)
        久村連
虫のねや我も泪にしのびかね      紫翠
        小田連
身ひとつに吹かとばかり秋の風     其泉
        三刀屋連
  そも此叟、和歌は芝山卿にまなび、誹諧は去来、丈章(ママ)か腸を探り、ともに上手の誉ありて、世に百羅先生」(17オ)ともてはやしたりけるが、ことし文月末の四日、黄泉の風さそひ来りて、五十田狭の小汀に月を見すて給ふぞいとかなし。
行/\て戻らぬ旅や月の秋       東明
荻の声萩はうつぶく夕かな       維中
盆の後又なきたまを祭り鳧       亀六
桂男の影やはかなし袖の露       喜朝      」(17ウ)
        松江連
池水や蓮の実飛て秋淋し        野艾
虫なくや露もまたひぬ苔の下      文子
なき友の名もなつかしき盆会かな    得志
  鳳尾斎主人は、間もなき月を見残し、黄泉へ杖をひかれしとなん聞へけるにぞ、いさゝか埜章をのばへ悼侍らん」(18オ)と思ふの折ふし、三五夜雨あり
さればこそふるは泪歟月今宵    春宵庵文竜
  高名なる百蘿主人、此ほどみまかり給ふとぞ。終に謁せざる事のほゐなき、思ひつゞくるもむなし
秋の夜や逢はで別れし人も夢      冨水
  蓑笠翁の世にましたうちは、終にまみえざれば、此事の、のこり多くて、」(18ウ)今さら懐旧の泪に筆をそめて、霊前に備ふるのみ
文月や何思ふてもかた便り       本阿坊
        石見連
  鳳尾庵宗匠みまかり給ふときゝ、いほりへ訪らふ日は九月九日の宴なれば
なき跡もかほるや菊の花にけふ     瓶左      」(19オ)
さればこそ此日は空も秋の雨      其花
  兄なる春信翁の小祥の忌日に、生るがごとき画像をかけ奉りて
言の葉は絵にもかゝれず玉祭り     十圍
  兄君の別れをおしみて
是も又夢になれかし秋の蝶       女智竜院
秋さむも知らせ給はぬ寐顔かな     むろ      」(19ウ)
月をさぞ蓮の花のうてなより      女茶遊
月淋しめでこし人は雲がくれ      女相模
たのみたる露もはかなし秋の蝶     なを
月花の涙のたねや塚の露        寸志
手にうけて見ればなつかし草の露    李明
  大父君の塚にまいりて
朝貌や手向の露に咲残り       少年楚川     」(20オ)
  会者定離のならひも、今老のもの忘れして
露時雨涙も袖にたもちかね       女千賀
  舅君のわかれをかなしむ
朝ぎりははれても袖のしめり哉     つゆ
  親にをくるゝは子たるものゝつねなれども、きのふをけふとは思はずして、」(20ウ)あすか川あすもありと、菅の根のながきとし月、いたづらに過来しつる怠りの涙あふれ出て、今はた袖をしぼるも、なをおろかなるこゝろならんかし
なき跡にたつや心の霧の海      嘘楽斎浦安
  右
   不老山神光寺額面                」(21オ)
  諸国勧進二千余吟之内抜萃
      洛陽 芭蕉堂蒼〓撰
名月や雨吹こぼす萩すゝき     伊豫松山箒主
木がらしやいろ/\市の立しあと  伯州大袋安水
日のいりもどこやらゆかし年の山  雲州稗原余野
そのあたり水も枯たる柳かな    土佐宇賀花山    」(21ウ)
寒月やふるき尾花の影法師     雲州松江文龍
水白く見えつゝ秋のゆくゑかな   備中酒津尺梅
ひる顔のかたぶいて咲くもりかな    同 露之
鶏のかき交て見る落葉かな    伯州ミサキ流水
露涼し月のはなれぬ草の上       同 湖水
大様に一葉ちりけり雨の後     石州川下志水
啼止て飛虫もあり朝の月      雲州松江四橋    」(22オ)
小男鹿や啼つくしては立つくし  土佐三津浜可厚
海原の月啼けしてちどりかな    石州川下可復
野の末や日の入さむく啼からす   伊豫松山胡文
あさよさや秋をなぐさむ鐘のこゑ    同 逸志
はつ秋や障子一枚たてゝあり    石州吉永琴風
啼鳥にさして名もなし帰り花   作州自然庵一物
白蓮や水重/\と朝ぐもり     作州津山亀栖    」(22ウ)
赤椿ちるや庵のかたあかり    伯州ミサキ宜哉
花のいめちる時なれや明のかね   作州久常蛙鏡
花/\といひつゝ六日過しけり   伊豫松山一翠
ふる道の心おぼえや山ざくら    石州川下松花
鴨啼や汐にしめりし関の幕    伯州ミサキ花来
松すぎて杉に物うしかんこ鳥    伯州寺内新風
秋の蝉くるゝを啼てあはれ也    伯州天方其梁    」(23オ)
すてられた犬の子なくやおぼろ月  石州河本暁慮
咲残る白菊さむき月夜かな     土佐中村北川
行春のかげうつりけり飛鳥川    備中法蓮簾雨
紫陽花の春はきのふと成にけり     同 蔦橋
我笠のげにはぬれけり初しぐれ     同 芳蓑
きり一葉落て秋しる夕部かな   雲州古志原玉水
のぼる日にきえてあとなし塚の雪    同 志功    」(23ウ)
玉と見し露の行衛や神がくれ    作州吉野鵲巣
起出て西に月見るひとりかな   京 百仏庵古岩
おしそふに鐘つくはるの夕部かな  石州吉永龍溪
霧ふかし夜明けて虫の啼やまず  伯州ミサキ碩遊
ぬれ鴉飛やいづこの初時雨     紀州若山春暁
二日月鳫一声に入にけり      伯州山根哥遊
歌よんで石に書けり秋の山     雲州忌部里石    」(24オ)
白雨の残り岩根や苔雫         同 荷水
戸の内も芒にぬるゝ伏家哉     伊豫宇广五粒
武蔵野や卯の花すごき夏月      石州 琴後
月花は見あきて老の雪見哉     石州吉永里雪
あたらしき石碑も見へて盆の月   石州川下玉川
是にたる言の葉はなし今日の月   石州延里里明
酒やめて何やら淋し花の山     雲州忌部一枝    」(24ウ)
ちどり啼てもれ来る風の音あはれ  土佐中村文律
いたづらににしきの野とはなりに鳧 紀州日高五風
かり跡に痩てかゝしの動かな    土佐中村廬竹
塩木焚て臑あふる夜や啼千鳥    土佐上岡古〓
寒梅やむかしはだれかすみ所    同 甲原藤枝
菜の花や野は金色の別世界     同 西野梅語
伽羅の火のきえて菖蒲のにほひかな 雲州忌部和水    」(25オ)
行秋を棚に見て居る瓢かな     石州土江芦江
風の夜や庭の落葉も雨の音       同 柳水
ふらぬ日も雨をふくみし芭蕉かな 伯州ミサキ仲麟
 以上特載誹諧之発句。猶雖有悼詩和歌連哥等、不能及具記書。
                           」(25ウ)
鳳尾斎百蘿のぬしは、出雲八重垣のおくのおくまでたどりえ、さくりえたる翁なりとて、其ほとりにてはいみじき名をとりたる人のごとし。文月の末かの」(26オ)国のよもつひら坂におもむかれたるを、その門人たち、なげきにたえず、これのとぶらひ草をものし、みやこにのぼしておのれにひとことくはへてよと乞ふ。おのれもかねてよりきゝしり、したひおぼえたりし」(26ウ)おきななれば、ともに涙の一雫をそえて、手向のしりへにおくといふ。
 文化乙丑初冬  蒼〓跋               」(27オ)
   京都書林 烏丸下立売上 橘榮堂 勝田善助  」(27ウ・終)