〈翻刻〉

原本の画像を見る


  類題発句集
                             」(表紙・題簽)
                              」(遊紙一オ)
                              」(遊紙一ウ)
さりつ文集
  八月十五夜月にむかひてひとり感慨の思ひを述る辞
昨夜の秋雨なをはれやらず。こよひの晴陰、更にしりがたしといへども、やまと、もろこし、月をもてあそべる、尤此時をもて佳辰とす。明年な(虫損)をありといふとも、今秋は又ふたゝび来らず。よしや雲雨の愁ありとも、などいたづらにねてあかすべけんや。されば同調の風客二三子につげて、良夜の佳会をなさんがために、みづから嚢中」(一オ)の阿堵をつくし、素鵞川の清泉をもてかもしける甘露一滴をこひ来りて、菅の根の長き夜すがら、ともに吟嘯すべけんには、猶さかなもとむとて、こよろぎのいそぎありきつゝ柴のあみ戸さしやらずして、夜たゞ客の来るをまつに、月は倚牛に至りて晴光たぐひなしといへども、さらに□(虫損)する人なし。ひとり月下の酔客となりて、みだりに五首の氷懐を述ることしかり。
安永四のとし
   五首の哥は略しぬ
 倚牛                          」(一ウ)
 
  風水翁の霊廟に詣て手向奉りける辞
今はむかし、風水翁と聞へけるは、八雲たつ出雲の国日御碕の神職日置氏のおほぢにして、いにしえ元禄宝永のころほひならん、あまねく天下に名をしられて、風徳よもに隣ありける人なり。ことに此国のみこともちのめぐみふかくて、あづまの都に」(二オ)つかふまつりけるもやゝとしあり。かるがゆへに神道は一樹(ジュ)霊神よりつたはりて、橘家一流の奥玄をきはめ、和哥を詠じ、連哥に遊び、又柳水翁の門に入て誹諧談笑をこのみしより、其角、嵐雪には金石の交りをなし、活(ママ)徳、立志等には鴎鷺の盟をむすて(ママ)より、風雅の佳名、世にます/\高かりし。しかのみならず、はいかひ三十六仙にもいりて、近江の国坂本の広前に千載不朽の英名を残されける。身は元日のもち袋、といへるは、一世一句の絶章とかや。又奥羽一見の時
  松嶋やいらぬかすみの立て来る             」(二ウ)
此外、玉藻あまたなる中にも
  七夕の硯はかりておきの海
  夕ぐれの小男に角のあるもの歟
と例の俗言を吐捨給ひし。ひなの翁のひなぶりながらも、義は神明に慣へるにや、七十有余星霜をふれども、玉唾なを人口に残れるをや。廟は五十田狭小汀にとなる熊成のふもとの海岸にのぞみて、さらに丈余の岩壁あり。みづから彦雄霊神の四字を刻て終に其下に神去給ひぬ。廟前の風光も亦ことに美景にして、春は花とりの色音をたづねて、蕨、虎杖」(三オ)の家づとも、とぼしからず。夏はほとゝぎすをまつたよりよろしく、海士の火かげはさながら、山松の梢につらなり、紅葉ふみわけなく鹿の声がするなる夕ぐれの気しき、秋はまたなくあはれふかし。先南をのぞめば、名におふ石見潟は波に匍匐し、かたみの山は雲に峙て、雪のあしたの俤は、あたかも士峯にむかへるがごとし。又西にむかへば、蒼海渺々として、こまもろこしも遠からずや。釣の小舟は雲を凌ぎて春水天上に座すと興ぜしも、雲井にまがふ沖津波とよみしも、唯一里のうちに思ひ多々たり。絶海清閑の地なるには、古人のこゝろを」(三ウ)とゞめしも、むべなる哉。ことし安永よつの春、花の時は花をもてまつるといへるふるごとを思ひ出て、此霊廟に一枝をさゝげ、ひとり懐旧の涙をはらひつゝ、みだりに不文を述て、古翁のあとをしたひ奉るといふことしかり。
  哥は略す
  如月中旬  七猿斉春信                」(四オ)
                             」(四ウ)
  猿の画讃
神世のむかし、猿の翁とていとも大なる山猿あり。口尻ともに赤うして、口のひかりにはあめを照し、尻の光にはつちをてらす。眼は八咫の鏡に似たる、是を猿眼のはじめとせり。其目にもろ/\の悪色を見ず、其口にもろ/\の悪語をいはず、其耳にもろ/\の悪声をきかずして、ある時は見ざるとなり、ある時はいは猿となり、又ある時はきか猿となりて、人を導き教へたる、其徳の大なる事、さらに宇宙に比するものなからん。されば此猿の弟子となりて千世のふる」(五オ)道を学ぶものは、人にまさるの翁なれども、直なる木を飛そこなひて、曲れる枝にすべりおちたるは、世に猿智恵のうき名をとりて、狙公がもとの橡の実に、朝四暮三のよろこびをなす。あゝくらい哉
         みの笠翁たはぶれ□(虫損)かく
 哥 三輪の山すぎしむかしはなれだにも
   よみけるものを大和ことの葉
  発句 柴の戸は猿の外なし月の友            」(五ウ)
                             」(六オ)
                             」(六ウ)
  案山子画賛
あるとしの秋、あづまよりのかへるさに、木曽の山路をたどりゆくほどに、日すでにたそがれなん/\とす。坂を下れば、道のあなたに人あり。宿かしてよとよばふれどもこたへず。おりしも風のはげしければ、松ふく音にまぎれてや、聞かざりけんと、畦のほそ道を伝ひ行て、またしか/゛\此ことをいへど、なをさらにうけがはねば、もしは耳とき(虫損)老ぼれにや。そばちかふよりてみれば、笠は破れて雨にそぼち、蓑はちぎれて風にみだれ」(七オ)つゝ、篠の弓矢のはりもなければ、交りをたえあそびをやめて、今はうき世にあきはてたる我や、いましに似たるらん。いましやわれに似たるらん。心なければいざしらず
  行秋や道連ほしき木曽の旅               」(七ウ)
                             」(八オ)
  蜩庵記
岩間のおくの山居にはあらねど、爰の市路の傍に、むかしある人の世をしのびてむすび捨たる草の戸あり。唯露の身ををければとて、いとことそぎにつくりなして、あるじのほかは膝をい(虫損)るゝにたらず。まして月雪のひかりもうとければ、壁をうがちて風窓をひらき、あらたに是を蜩と名づけてふたゝびのがれすむ人は月読の里にあり。侘たる我友、山もとの」(八ウ)老雅になん。されどひとりも淋し過たれば(虫損)、うき世いとわん友もがなとて、賤の翁もまねきにあひぬれば、草居露宿をともにして、くやしく過しいにしへをかたりあへるに、閑子は常に囲棋を好み、われは常に和哥を好む。其好む所ことなれども、同仁相憂□(ママ)の心ふかければ、日頃水魚の交りをなして、信を通ること五十年、子は欄(ママ)柯に日を暮し、われは花鳥に日をくらせり。そも蜩をもて」(九オ)名とする心は、蜩は寒蝉也。其声〓々たる時は、うそ寒しとかや。今ともに老衰して秋風をかなしむ事、渠にひとしかれば、必たそがれに至りて鳴寄合しも、既に落日にちかし。あすをもしらぬ病翁ふたり、さながら秋蝉の苦吟するにひとしければ、こもまたまぼろしのすみかならずやと、かひまさぐりてかひやりぬ。
   寛政六のとし                    」(九ウ)
  日ぐらしや鳴て間もなき柴の庵             」(十オ)
                            」(十一ウ)
  悼魚坊辭
昔蕉門に十弟あり。をの/\赤角の才にして、世に是を十哲と称するにや。しかはあれど祖師は丁因なる翁にて、かゝる過当を好める人にあらず。蓋僊化の後に至りて門弟好事の輩の彼仏門の十大に比し、あるは孔門の十哲に習ひて、ひそかに人を撰みたるにこそあらめ。一門の正風も面々の意気にわかれて、渠は死鼠をもて玉〓となし、是は山鶏をもて鳳凰となす。さるが中にも、美のの支考はひとり文筆の英才にして、ほとゝ」(十二オ)平地に波を起せり。其一流四辺にみちて、是に染習するもの、あたかも泉のごとくに湧といへども、実に誹諧の蘊奥をしれるものは、今の世にはいとまれなるが中に、奥に魚坊浄愚といへる騒客は、もとは石見の産にして、父は中嶋芙三とかや。此人獅子門なりしかば、孝子も共に此風に執心して、窓に蛍雪をあつむる事、既に五十年のいさをしならん。かくて文章に自在して言句に人をおどろかし、かつは談笑に和らぎたる滑稽の辨人にて、高く佳名を夷洛にしられ、いつし」(十二ウ)か門人のまねきにあひて、当国坂田に居を移せり。されど風雲の情やむ時なく、常に山野を家とせし経回多年のつかれにやありけん、あし引のやまひがちなれば、今は幽栖にかきこもりて、老をやしなはんがためにとて、今市の里に茶廬をむすびて、みづから是をしのぶ庵と名づけ、忍びかくれてしづかならんとすれども、友遠方よりむれ来りて、閑居一日もしづかならねども、もとより此路をば行」(十三オ)尽して、今は行つきかたもなしとにや。故翁もはじめは拾穂門に百人一首の秘説をさづかり、源氏は湖月に眼をさらして、もはら哥学をもつとめ給へば、今や晩学なりといへども、あしたに道を聞てゆふべにしなんことは学者の心、此外ならずとしきりに和哥の修行地をおもひたてり。其道に信実なるや、其わざに秀才なるや、ふかくおしむべき信友なるがごとし。寛政五とせの冬、七十になん/\として終に黄泉の客とはなれり。琴も無弦に至りては」(十三ウ)聴者稀なり。古今唯一鐘期のみ。老今連れなく、我を捨てゆく。吁、かなしい哉
  今からは誰にか見せん冬の梅              」(十四オ)
                             」(十四ウ)
  弔魚坊ノ一周忌辞
むかしの翁のあとをしたひて、ある日は爰の花にわらひ、ある夜はかしこの月にかなしむ同調の風騒みたり。中にも老僧とたのみけるは、古年の冬霜月のけふにはありけん、茶の花の一句に此世を捨て、よみの山路の雪みにとて行かれけるは、芭蕉尊者のもとを尋てすきの風談に」(十五オ)月日を送り、遂に帰路をや忘れ侍られけん。あとの屮庵に空々として明くれたよりをまつものは、唯又閑坊とわれとのみ
  榾の火やいつまでふたり庵の留主            」(十五ウ)
 
  富士の紀行
若かりし時は、旅をすきて都のかたにはいくぞ度となく行かよひて、西は松浦がた、東は鳴見潟までさまよひけるも、よそぢ近きころよりいたつきおほかる身となりて、蓑も笠もほかしけれど、東海道の一すぢをも見ざらんはと、先師の申されしも心にくかり。かつはあめつちの内にたぐひなしといへる富士をみずしてしなんことはいとくちおしと、老の」(十六オ)坂近きまでも思ひやまず。よしや、いづくも旅の世なればと、例の無常迅速に草鞋引しめ、笠うちかぶりて千間の関山をこへ行に、日すでにたそがれになん/\とす
  身がるさに手のまたくゞるほたるかな
是よりはりま路まではさらにめとまるかた□(虫損)なければ、あやしき竹の輿にうちのりて、わきめもふらで、いそがしけるほどに、ねむりさめて見れば、あかしの浦なり。はかなき夢を夏の」(十六ウ)月といへる先師の一句を思ひ出て
  蛸壷の夢の間凉し磯まくら
又、浜辺を行に見渡し近き浦ながら
  山よりもあゆみくるしきあつさ哉
梅が碕といふ所は、つの国のさかひにて、是より須广の浦とかや。かたつぶり角ふりわけよと興じられし先師の句には及びなけれど
  這わたる蔦やもとうら須广あかし           」(十七オ)
何くれとして行暮たれば、海人の家に宿かりて、かの見わたせば、ながむれば、見ればといへるも感に堪て
  見わたしてながめかねたり秋の暮
此あたりはむかし軍せしあとなれば、みる物きくもの、みなかなし
  かはる世や案山子の弓に轡むし
  生田河いく度も秋の水寒し              」(十七ウ)
昆陽の里にかりねして芦の葉のそよぐに目もあはねば
  秋の声夢見るひまもな(虫損)かりけり
京にてしる人のかたに五日ばかりとどまりて、ふ月のすへに思ひたちて、あづまにくだる。先とて木曽寺に参りて先師の墓を拝み、草堂のかたはらにしばらく休らひて、つく/゛\思ひめぐらすに、世に誹諧とさへいへば、いづくもおなじ事と思へど、此翁の教へけるは、和哥の道の」(十八オ)正風体とて、またく古今集より出たる正雅なるに、その弟子どもに至りては、こと/゛\く変風しておかしからず。今の世人、ことにいひちらすは、皆世わたりのたづきにして、初学の耳をへつらへるものなり。和哥はおほやけの道なれども、変風にうつりし事度々ありて、あるは為兼卿の異風におちたるを、頓阿法師の正風にかへられしごとく、翁ひとたび古風をあらためて、当流をしめされたれども、終には世の人の正風」(十八ウ)を忘れて又あらぬさまにうつりかはれり。しかあれど、此道は唯千載の後までも、翁を師としてつとむべきにこそと思ひて
  芭蕉より外に広葉はなかりけり
さてゆく/\湖上を見わたせば、比良、三上、鏡山、唐崎の松もおぼろにて、かの花よりもの曲節にすべて心腑に銘したれば、みづからの句はなくて、唯是をのみあまた度感吟するに、伴へる人の」(十九オ)いひけらく、此鷺の橋とはいかなる事にや。鷺のつらなりてゆくを、唯橋のやうに見立られしにや、と尋ぬ。予答て曰、句、一曲一わたりはそれにてもよし。されど鷺のつらなりて行を橋とはいふべからず。是を見立て、ゆへもなきにみだりに作するは正風にあらず。此句きはめて妙所あらん。うかつにいふべからず。
  鏡山 我顔も日に黒ぬしの哥のさま
  鈴鹿 虫の音もまじるや馬の鈴鹿山          」(十九ウ)
  熱田 秋もまだあつたの森の下凉み
  小夜 よくきけば石にはあらず虫の声
あめのもちといふ峠にやすみて
  菊の日も近し山路の餅買ん
翁のまねして此道をたどりゆくに、大井河にて
  われによく似たり井関の山がらす
  うつの山 こき入て袖からもちる蔦紅葉
  富士川  富士河や氷らぬばかり秋の水        」(二十オ)
  白酒   酒しろしさぞ富士川の雪の水
原といふ所にとまりける夜、はじめて夜寒をおぼへて
  身にしめてねばや夜寒も富士おろし
三嶋にとまる日は雨ふりて、ひめもす富士を見ず。されば先師の霧時雨の句もかゝるおりにやと
  霧時雨見ぬ日ぞ富士のはなし哉
今朝は雨はれて空よくすめり。日にかゝる」(二十ウ)時やことさら、といはれしは、いと感ふかけれど、今は葉月のころなれば、秋の空なる、といひし鬼貫が句も亦おかし
  朝寒に帯せぬ富士のすがたかな
伴へる人にかたれば、是は正風にはあるべからず。帯は人にこそ、姿も亦人にこそ、と難ず。予が曰、我とし古き下手なれども、翁の正風にまなこをさらす事、今すでに四十余年、かつてゆへなき事をいはず。詩哥の」(二十一オ)例を本として、風曲をつくす事は、是先師がたましひなり。白雲帯に似たるとは、詩の風曲にして、吉備の中山帯にするとは和哥の風曲なり。山の姿にかゝるしら雲とよめる家隆の秀逸をばしり給はずやと、道すがらいひしことを旅宿のつれ/゛\にかひつけぬ。」(二十一ウ)
                             」(二十二オ)
                             」(二十二ウ)
  誹諧ノ箴
古元禄の頃にかありけん、何がしの翁といへるがしばらく生涯のはかり事となせしひな哥の道といふは、儒にあらず、仏にあらず、世に浦安の国ぶりなれば、神道をもて父となし、哥道をもて母となして、正風一家をおこされしに、その門人に至りては終にはもとの心をうしなひ、二千余歳のむかしに名ありて」(二十三オ)周秦より諷諫にしられ、漢魏に談笑を広めしとて、史記漢書の類を引證せし白馬経といへるを偽作して、言篇に書たるは歩皆切にあらずとて、みだりに人篇に書あらため、誹俳の二字に新古をわかち、哥書に言篇をかゝれしは貫之あそみの誤なりと哥道の故実を破り捨て、あらたに唐の俳諧を」(二十三ウ)とり出し、和哥連哥に敵したる枉言を広めしは、またく此道の異端也。すでに猿蓑をはじめとして、在世の撰集すべて言篇なるを、滅後に是をあらためよといへる事、蕉門の高弟すら其説を聞たる人かつてなし。唯、何がし法師ひとりのみ。三十年も活残りて姦計に世を惑はし、才辨に人を誣つけて、あとは野となれ山となれ、をのが一世の活計にさへなればと、先師の本意を」(二十四オ)乱したるは、是此道の楊墨にして、其句調の婬けたる事、すなはち亡国の音に近シ。さらば、わが門に遊べる人、今も翁の風徳をしたふとならば、長く日の本の誹諧をたのしむべし。必唐の俳諧には遊ぶべからず
  すぐに行道な忘れそ桜がり               」(二十四ウ)
                             」(二十五オ)
  月見席詞
花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれみ、露をかなしめるたぐひ、四時の美景すべてよろしきが中にも、唯月をもて最上とす。春夜の朦朧たる、夏天の清凉なる、晩秋の冷影、雪中の寒光にいたるまで、古今愛せずといふことなし。殊に三秋はすぐれたるが中に、わきて中秋十五夜をもて、是をもてあそぶの佳辰とす。しかりといへども、狂雲のために晴明をねたまれ、寒雨のために良夜をうしなひて、むなしく蓬」(二十五ウ)窓を戸ざす風騒のうらみ、歳々にふかし。さるを、今宵秋風高く吹て雲霧一時に散じ、山海万里の望を隔ざるがゆへに、しきりに吟嘯の情を発し、おもふどちいざなひて、つゐに養命山院に至りぬ。山鳥の尾の長き夜をさへ、をじかの角のつかの間に思ひなして、みだりに卑懐を述ることしかり
  めづる身はふりゆく秋に月こよひ又あたらしきひかりそひぬる
                             」(二十六オ)
                             」(二十六ウ)
  歳暮の述懐
世の外のすみかは、常にだに、とひ来る人もまれ/\なるに、わきてきのふけふは、くれ行年のいそぎにかゝづらひぬるにや、ふつに音づるゝ人もなかりければ、いと物しづかなる寒燈のもとに、ひとりつら/\おもへらく、やまと哥の道は日のもとの本理正道なれば、此国に生れ来れる人は、たかきもいやしきも、おのこもをうなも、なべてつとめおこなふべき道なれることは、世々の聖賢のさる」(二十七オ)が中にも、八雲たつ出雲の國のすがのさとは、わきて此道の起源なれば、此さとにすめらん人々は、殊に此道をもはらにすべきことと、我師転幽老翁のふかくしめしたまへることのこゝろにそみて、いやしきやつがれまでも道に入し日より、朝露のひるまにも忘れず、夕波のよる/\もおきゐつゝ、つねに嗟嘆し、詠哥するといへども、もとより才つたなく、こゝろみじかければ、いまだ桂林の一枝をもよぢず。かつて崑山の片玉をもひろはずといへる古賢」(二十七ウ)の詞のおもむきを歎くがあまりに、述懐一首の俚語をつゞりて、おなじ道の友どちのもとにをくり侍ることしかり
  老てこそゆきもつくさめことの葉のみちのためには年もおしまじ
  道しらぬ我身はいつと八雲山ふもとのさとにたちまよひつゝ
                      春信 」(二十八オ)
                         」(二十八ウ)
                         」(二十九オ)
                         」(二十九ウ)
                         」(三十オ)
                         」(三十ウ)
寛政元
 酉中秋         硯季(ママ)            」(裏表紙見返し)