二 『松葉日記』について

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 さて、『松葉日記』には、序跋や奥書がなく、季硯の名前も明らかには記されていない。そのため、じつは『松葉日記』のみを見ていても誰の句集であるかは不明である。しかし、『松葉日記』と共に伝来した『葡萄棚』(写本)と題する冊子には、季硯とその親交のあった俳人たちとの句が収録されており、そこに季硯の句として載るいくつかは、『松葉日記』にも重複して収録されている。また、『松葉日記』に記載される「近江八景」の句は、多少句形に異同があるが、『蕉門名録集』(宝暦二年刊)に「雲州大社 錢季硯拝書」として収録されることも確認できる。さらに、『松葉日記』の筆跡は、記念館に残された季硯の筆跡資料と比較して誤りのないものである。以上の諸点から、『松葉日記』は季硯の句集であると判断することが可能である。
 また、『松葉日記』には成立を明らかに示す年記もない。ただし、三三丁表には、安永二年の柿本人麻呂一千五十年忌にあたって詠じた句が収録されており、それ以降の成立となる。しかし、前節に記したように、三一丁表三行目以降はやや筆致が変わる箇所があり、また末尾四丁は白紙のまま残されていることを考えると、あくまで稿本として未完に終わったものと考えることが適当であろう。
 なお、記念館には、もう一部、同名の写本(半紙本一冊、料紙は楮紙)が伝存するが、そちらは季硯の備忘のためのノートのような内容のもので、諸書からの抜き書きや、漢詩や和歌、俳諧、などが雑然と書き込まれており、季硯の句集として編まれたものではない。