PDFで読む 目録
以上、簡単ではあるが、季硯を中心に、大社の俳人たちの活動とその特色について検討を加えた。繰り返しになるが、従来、その具体像が知られていなかった享保・宝暦期の大社俳壇の実態を明らかにするために、手錢記念館に伝わった俳諧資料は大変貴重な存在である。ここに『松葉日記』を翻刻紹介する所以である。
注
(1) 冠李が誰であるかについては、これまで手錢家においても不明とのことであったが、ごく最近になって、手錢記念館事務局長の手錢裕子氏の調査により、手錢家の墓所内の墓石が確認され、戒名が花菴行栄居士であること、寛政八年十二月十五日に七十八歳で没していること、二代茂助長定の子であること(すなわち季硯の弟であること)が確認された。
(2) 復本一郎「蕉風伝書における「皮肉骨」についてのノート―『伝書古池之解』を紹介しつつ―」(神奈川大学『国際経営論集』1、平成2年3月)では、学習院大学宮本三郎文庫に儀満持矩が書写した『伝書古池之解』が所蔵されていること、同書は百蘿が空阿から譲り受けて持ち帰った伝書を書写したものである可能性が高いことが指摘されている。