PDFで読む 目録
『もくづ集』は、手錢家五代当主であった官三郎有秀(明和八(一七七一)~文政三(一八二〇)、号は衝冠斎、薄月庵、雅硯など。以下有秀と記す)によって編まれた自選句文集である。
有秀は、明和八年三月三日、四代此三郎の長男として生まれ、寛政八年(一七九六)父の死により五代目当主となり、千家家(出雲大社国造家)近習格、杵築六ヶ村大年寄などを勤めた。
文芸、篆刻、面打、能楽、絵画など様々な趣味を嗜んだらしく、本人の手による面(「すさのお」「山の神」の神楽面二面を大土地神社に奉納している)や印、水墨画など様々な作品が残っているだけでなく、有秀の署名や蔵書印が記された諸芸に関わる蔵書資料も多い。
その中でも俳諧に格別熱心であったことは、多くの句集に入集していること、『萬家人名録』〈手錢家蔵書番号641〉に載っていること、残っている草稿や詠草などの量の多さからも確実であろう。
『蕉門誹諧極秘聞書』〈同45〉の中に「神文…寛政八丙辰歳六月日/手錢官三郎有秀書/冠李尊師 百蘿尊師 両宗匠」とあること、広瀬百蘿追善集『あきのせみ』〈同76〉において、「門人 衝冠斎有秀」として冒頭の「枕言葉」ならびに百蘿の肖像を描いていることなどから、有秀は、広瀬百蘿、手錢冠李(手錢家三代季硯の弟)に深く傾倒し、実際に教えも受けていたと考えられる。所蔵俳諧資料のうち冠李や百蘿に由来すると思われるものについては、有秀が二人から直接譲り受けた可能性も高い。有秀は手錢家の蔵書形成においても、大きな役割を果たしていたと言ってよいだろう。