〈翻刻〉

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(表紙) もくつ集
 (見返し)白紙
[印]
とし頃、春雨のつれ/\、秋の夜の長き折ふし、稽古のためにかけるくさくのものあり。おろかなる身のしハさ、誤り多かることなれハ、残しをけるもいとはつかしきことながら、此まゝ捨るも本意なき心地」(一オ)するより、一冊となしてもくつ集とハ名つくるなり。もし高見の輩見ることありとも、杜選の多きを笑ふことなかれ。
  于予時
   文化四丙卯のとし秋 白澤園
               【白澤】(朱瓢形白文印) 」(一ウ)
 
もくつ集
   案山子の文
かり田のあとの気色淋しく、ほつれし笠に世を背きたる老ほれあり。降らぬ日もみのをはなさす、弓矢とる手も秋風のいとおほつかなくそ見え侍る。いかめしき音やあられと興せしも、浪かきわけし陣雨か笠も、皆行すへ」(ニオ)ハ此さまならん。山吹のみのひとつたになかりし時も、此老翁は持つらんか。許由か捨たるふくへかして歌になしたる、いとおかし。
  此上は何になるかも捨かゝし
 
 
   いそ枕の後序    」(ニウ)
呉楚に魂をはしらするにはあらて、もろこし近き旅寝せし露丸のぬしか、心つくしの家つとに、かの釣連のなかめを記して頭陀の底にかくしをけるを、此ほと予に清書せよとなり。されと、かなのけちめもしらぬ身の、山鶏をもて鳳凰と呼ぶに似たれハ、ふかく辞すれともゆるさす。もとより人に見すへき」(三オ)にもあらされハ、旅のつかれをもたすけむとて、終に其需に応してつたなき筆を染るならし[もの(見消チ)]。
  于時 寛政十午晩夏日
 
 
   月の友集序    」(三ウ)
むかしの翁の正風をしたひて、ひとりわか師の誹諧は、敢て門人の意気にもよらす、唯此道の本理を守りて、心は教誡のはしとせらるゝより、門葉遠近にはひこり、貴賤老若となく、なへて染習ふ人すくなからす。句々は庫にあまり、車にみてるを、厚志の輩、此まゝおかんもほゐなしとて、各ひそかに是を集、四季をわかちて小冊となし」(四オ)けるを、仙菊亭の主人、又是を清書して月の友と題す。されと後出の作例とするにハあらす。只同竈の罪なからしめんかためにとなん。」(四ウ)
 
   のなりの解
世にのなりあ□(虫損)けり。人ある事をしりて、用ゆる事をしらす。また用ゆる事をしりて、其妙所をしらす。常にいふ、つれなき女の手すさみ[なく(見消チ)]と心得るハ、大なる非なり。此妙所を探り得て儒に孔子、仏に釈迦とあふくへきハ、いさゝの浜にみたり。其名を問ヘハ、仙安、松露、冠秀、いつれも此道にたけし赤角」(五オ)の才にして、世に比する学者なからしむ。されと隠徳外にあらはれかたく、池中の龍、洞底の獅のたくひなれハ、天下にしる人なし。予、是をひそかにうかゝひて、今三師の妙所をいふに、仙子ハ、生得小短也。故に是を用て六尺ゆたかのますら男となり、大敵に向ひて痿ます。遂に敵陣にわけ入て前後(虫損)左右にあたり、ころは/\の声々、山にひゝき」(五ウ)野にみちて、流るゝのりハ泉のことくに湧出て、□□□□(虫損)袋の物をとるか如し。松子ハ、もとより大頭也。天生大力にして身ほそし。ゆへに是かからたをかりて敵を威す。たとヘハ龍頭の馬面のことし。冠子ハ、其躰大なり。ゆへに是か力をからすといへとも、しかれとも非力なり。一戦にしてつゝくことあたはす。こゝにおゐて、是か力をかりて先陣とす。大敵数戦の後、自出て打勝事妙なり」(六オ)といへり。いつれも、其用ゆる所ハ異なれとも、敵をほろほす事、奇々妙々たり。能是を用ゆる事を得ハ、虚城となることなし。城虚すれハ身ほろふ。人寿かきりありといへとも、若ふして死するハ定命にあらす。能守らさるゆへなり。世ハ夢の世にして、後葉に名を残すを本意とす(虫損)といへれとも、長命ならすしてハ物を遂ることかたし。遂されハ名の誉あるへからす。」(六ウ)ふかく慮て、城を守るを旦夕に考ふへし。あなかしこ
 
   松茂亭四十の賀に送る
師の教誡をむねとし、言葉に弥生の華をさかせ、こゝろに良夜の月をすまし、ことし初て老に入ものハ、松茂亭の主人なりけり。
  山ふかみ踏も感(ママ)ハす桜かり    」(七オ)
 
   日々庵の主入四十ちの賀に送る
素雪丹鳥のいさをも、既に不惑の春に至れハとて、同胞の誰かれをかたらひ、けふや嘘楽主人のたかとのにのほりて、祝意をうたふ。
  老の(虫損)名を先呼初む翁草    」(七ウ)
 
   十囲老士の六そちの賀に送る
心つくしの田めくりして、たらちねのほゐをとけつゝ、世に望めることのなけれハと、素鵞川の清泉に心をすまして、ことしむそちの春をことふく人は、老せぬ山のほとりなる広瀬何かしの主人なりけり。
  ひとつ/\耳にとゝきて百千鳥    」(八オ)
 
  凮俗文選
     手足辯ニ     汶村
甲胄のよろひかふとをあやまり、行燈桃燈をとりちかへ(虫損)たるむかしより、国中みな誤りおほえけれ(虫損)バ、却てあらためたる人を、あやまりといふ」(八ウ)も理りならんとかけり[きたり(見消チ)]。此文意を察するに、甲胄と□□(虫損)から、かふとよろひとこそいふへきを、よろひかふとゝいふハ、むかしよりのあやまり也。また、ゆくともし火が、ちやうちんにてあるへきを、とりちかへたらんといへる心にして、一通り尤に聞え、おもしろくかきたるよふなれと、是は汶村か大なる誤ならん。甲胄(カツチウ)と書て、よろひかふとゝよむハ、日本の古事にして、和学をしらぬ人ハ解せぬ事也。先つ」(九オ)甲胄(カツチウ)と文字をつくるハ、本躰の次第にして、甲(カフト)は頭にいたゝくもの、胄(ヨロイ)ハ身にまとふものにして、頭にきるものを先キにし、身にまとふものを後チにするか、物の次第本躰なるゆへ、字音につゝくる時は、甲胄と書か次第也。是をかふとよろひとよむ時は、書たる文字の通りにて、さもあるへき事のよふなれと、是をよろひかふとゝよむか、和学の古風習ひ也。日本ハ、文字に敢てかゝはらす、語路(コトミチ)とて囗うつりのよきを第一」(九ウ)にしたるか、此国の教え也。ゆへに日月(ヂツゲツ)と書ても、ツキヒとよむか語路のよろしき也。昼夜(チウヤ)とかけと、ひるよるとハいはて、よるひるといゝ、山海とかけと、やまうみハ語路あしきゆへ、うミやまといふ也。此類、数々の事にして出すにいとまあらす。すへて語路にて、口うつりのよろしき、言よき所を専にしてよむか、此国の風也。甲胄(カツチウ)とかきて、よろひかふとゝよめハとて、甲(カツ)をよろひといゝ、胄(チウ)をかふとゝわけるにハあらす。ひとつにして、いろ/\」(十オ)よみよきよふに読か、ことミち也。日本と書てやまとゝよむに、日の字にやまのよみもなく、本の字にとゝいふよみもなけれと、かくよむか習ひ也。此類、幾つもある也。扨又、此甲胄を着るに、ひとっの次第あり。甲を先に着て、よろひをのちに着るものにハあらす。先胄(ヨロイ)をきて、のち甲を着ものと見えたり。さあれハ、是を着る次第をいはゝ、よろひ(虫損)かふとゝ(虫損)いふも、またことはり也。是ハものゝ表裏に□□□(虫損)神道日月の伝にも、表系実系とてあり。」(十ウ)表系といへるハ、日の神を姉君と奉り、月の神を弟□(虫損)神と唱奉る。是、表系にして、文字二日月(チツケツ)とつゝくる字音の次第也。又、月の神ハ先にあれます神にして、日ノ神のちにあれますか、実の次第なるゆへ、文字の訓にてハ月日(ツキヒ)と訓する也。されハ、日月と書てつきひといふか、音訓にて表系実系をしらするの秘也。此類、和学に甚多し。余ハ学んてしるへし。扨、行燈挑灯をとりちかへたるハ、むかしより国中みな誤り」(十一オ)おほえけれハと書たるハ、汶村いかなる心ならん。ゆくともし火といへは、ちやうちんハ持ありくゆへ、行ともし火かちやうちんによからんとの事なるへきや。不突鑿のさたならん。字彙行ハ何庚ノ切音、衡字林玉篇ツラナル●ヲコナウ●シワサ●ミルなとゝよみ、又字彙燈ハ都騰ノ切音、登字林正篇トモス●トモシヒ●アブラツギなとよみて、行燈と書てともし火をおこなふと訓すれ□□□(虫損)あんとふかあたり前の道具也。ゆくといへは」(十一ウ)とて、ちやうちんによするハ非也。又字彙挑ハ他彫ノ□音□□(虫損)撥又取也。又、杖荷也。往来ノ貌也。玉篇カヽクルトル○ニナフ○ユキコウとよみて、今の世にもちありくちやうちんに不動の文字也。あんとふにしてハ、あたらぬ字也。灯は燈ノ俗字也とありて、ともし火といふ文字なり。されハ、あんとふちやうちんをとりちかへたりといふことハ、またたくひなき誤にして、笑ふへきの甚しき也。汶村も古翁の門人なれハ、かくのことき杜選」(十ニオ)をいふへきにもあらねと、鼻の先学文と見えて、後世の笑草を残せること、いとはつかしきことゝも也。古翁ハ和漢の道に通達して、片言の誤りをきかす。かなしい哉、翁迁化の後、十有余歳を経て、此凮俗文選の著述ありけるゆへ、かく放言をなせるならん。去来、丈草の、猿も木より落、許六、支考か大口も、鼻の先(虫損)はかりと見へて、やゝもすれハ、老荘の孔孟のとくされ儒者の糟粕をねふりて、此国の道を」(十ニウ)しらさるゆへ、汶村か誤りをもたゝさす、文選に入集し(虫損)て末代に恥辱を残すこと、かなしむへきの甚しきなり。落柿舎の文選の序に、先師ひとたひ思ひ立給ふこと侍れと、心に叶ふ物稀なれハ、むなしくやミぬるも十とせ余り五とせならん、とかけるを見れハ、文ハ多くありても、翁の心に叶ふもの稀なるゆへと見へたり。是等を見ても、貴むへきハ蕉翁なり。我師常にいゝけらく、蕉門に十哲ありといへとも、」(十三オ)先師と仰くへきハ古翁のことなりと。旦夕にしめされたる師恩の深きこと、今心根にしみわたり、涙をはらひて筆をとゝむ。
 
  三界無庵金銀不(虫損)浄財ノ考    」(十三ウ)
世に、誹諧の深入したるか国々をめくり、誹諧のほゐをもしらすして、誹人といヘハ、むりに風雅に世の常躰を嫌ひ、ゆかみたる杖にねしれたる笠と出かけ、扨かの我家を捨て、三界無庵といへる古きこと葉をとり違へ、金銀ハ不浄財抔と、ひとへにったなき物のよふに思ひ、清貧を好み、今日いとなむものもなく、人のものをあてにして、冬くれハ綿のひとへを願ひ、うへてハ夕の一飯を乞ふて、いっれ栖家とせるかた」(十四オ)もなく、雲水の行衛しられぬ境界となり果て、すゑハいつくの上にかなるや。希ふ人もなく仏家にいはゆる無圓法界といふへき次第、あはれにこそ思ハれ侍り。此三界無庵といへること、一通り聞えたるよふにて、其本意まきれありて、心得ちかふ人世に多きゆへ、先師さりつの翁、深くしめされたり。師ハよく是等の事をもさくり得て□□(虫損)しめられたれと、教のこと葉多くなるより、」(十四ウ)唯ひとへに三界無庵金銀不浄財ハ心得違ひなり□(虫損)手みしかにしめし、捨てとらぬよふに、かゝれたる書あり、是にてすむ也。しかれとも、猶予か考たる所を今かくに、三界無庵といへる本意ハ、ことに面白きさかひなり。先つ其人/\に身分の居り所、行状あり。町人百姓の身の上にていふに、五十歳に至るまてハ、家業をつとめ、其あい□(虫損)にハすける風雅をもて、身をおさめ、家をつくへき」[名跡になる(見消チ)](十五オ)子なき時は、養子をしてたしかに家業相続の人をたて、扨五十歳を越えなハ、家を譲り、家業をわたし、其身ハ隠居して、すきの風雅に遊ふへし。されハとて、別に隠居所をかまへ物すきの作事をくハヘなとすれハ、金銀を費してよからぬ事なり。只同居のうちに小座敷のひとつもかまへ、世をはなれて行たき所も心のまゝにして、定命をまつへし。されハ我家ハ子にゆつり、外に家を」(十五ウ)もたぬから、いつくへ行てもわか家とてハなく、身もあ□(虫損)り風雅の道も心よくわたる也。されとも、本家ハかわらす立て、子孫相続うたかひなし。是を三界無庵といふへき事ならんか。夫を心得違ふて、大切至極の家をやふりて、先祖のまつりをなせる事もならぬよふになりて諸国を遊行するを、三界無庵と心得たる人多し。大なる非也。又、金銀不浄財といへれハ」(十六オ)金銀ハもたぬかよし、有れハあるにまかせて有か上にもほしくなりて、大欲無道の気随おこるゆへ、なきか清貧の賢者也とて、大切の金銀を不浄財と心得たる、又たくひなき非也。さよふの事にハあるへからす。金銀ハ七宝第一の宝にして、和漢ともに是にまされるたからハなし。至て大切の宝也(虫損)。されハ無用の事に費さす、みたりに遣ハすして大切に守り残べし。しかれとも、」(十六ウ)又、遣ふへき所にて遣ハされハ、其徳なし。むりにおしみて(虫損)人をむさほりなとしてハ甚しきかいあり。金銀の欲によりてハ、人と中をたへ、人をかいし、身をそこなふ、みな此欲よりなすことなり。心得あしけれハ、大成不浄をまねく道具也。ゆへに、大切に守り、能我身の分限を計りて用ゆへし。あるかうへに望むハ、」(十七オ)則心の不浄也。身のたけ相応にしてうへを望ます、分限に至て遣ひ捨す、能はとにあつかふへし。やゝもすれハ、望みをおこして心の不浄をおこすものハ金銀なり。むかしも、ある学者[あり(見消チ)]世に高く名をあらハしたり。いつの頃よりか、金銀の欲出て、いろ/\の伝来事をはしめ、不思義の業を見せて、多くの愚人をまよハして、金銀を集めたりけるか、天道に叶ハぬにや、いつし」(十七ウ)か信者もうとくなりて、後にハ悪評にあへりし事あり。是等、金銀に目とれて、不浄に心の落入たる也。心得あしけれハ、大なる罪をつくり、不浄をまねく事のうつり安きハ、金銀の欲よりおこるゆへ、金銀ハ不浄に人安きものなり、心せよかしと、おしへたることハならん。金銀か不浄なる宝也といへる事にてハ、かつてあるへからす。世に大録(ママ)の人を冨る人と心得たり。冨るとは」(十ハオ)大身なるをいふにハあるへからす。大身たりとも、夫にひとしき借銀あらハ、冨る人とハいふへからす。小身たりとも、借銀もなく、一年のくらしを心よくして臨時のたすけを貯おかハ、事ハ足れる也。こと足れハ冨る也。金銀山の如くにつみたりとも、何の妙ハあるへからす。是を遣ハゝ妙あらん。遣ふ時ハ、一時にあるへし。兎角足ることをしれハ、常に冨(虫損)る也。されハ金銀に望みハなきはつ也。」(十ハウ)望みなけれハ心の不浄もあるへからす。心の不浄なき時ハ、不浄財ともいふへからす。能々わきまへたきハ、此境なるらんかし。 
 
  山入の後悔
ある日、五六子を倡ひ、いさゝの浜にうかれ出て浦の気色を望むに、北山の流れなる嶋つたひ」(十九オ)にあまたの人々釣をたれて余念なく見えけれハ、われ/\も人ま(虫損)似せんと小舩に竿さゝせ、呉湖のむかしをつふやきて、終にふた又といへる磯に漕よせ、呂望の世をのかれたるまねひして時をうつしけるに、磯うつ浪のひまもなく日既に西海に落けれハ、いさ帰らんとさゝやくに、浪あらく(虫損)舩にのるへき心地せねハ、是より山路を帰らんやといふにまかせ、樵路のほそきを」(十九ウ)のほるに、日暮て先もわきかたく、道猶たへて登るへき便なし。下らんとするに谷底真黒にしてすみのことく、ひと足も歩むことあたはす。いかにとも、せんかたつきて、各かつらに取つき、石上にまとひして、夜の明るを待んより外あるへからす。仙境に入人は、さそかくのこときことゝもならんと口にハさゝやき侍れとも、互に声はかりかハして、心には神仏を祈るはかり」(二十オ)なりけり。かくて、五会の頃にかありけん、はるかの空に人声あり。大に力を得て声をかきりによや/\と呼かくれハ、漸答て、何ものなれは今此谷底にありやといふ。口を揃へ、われらハ道にまよひて行暮たり、何とそ火をもて助け給はれといヘハ、かのものとも、やかて松明をふりて来り、茨高かやのしけきをわけて、」(二十ウ)よふやく本道にとりつき帰りぬ。命目出たき祝ひにとて、盃をかたむけ夢のさめたる心地して、わらひあひぬ。予、つく/\思へらく、舩を恐れて陸地をたとりしハ、命をかろんしさるに似たれとも、暮に近ふしてしらぬ山路にわけ入しハ、うかつのしハさなり。何事をなすとも、しらさる道に入らハ先達なくては叶ふへからす。今日の道をわたるに、師の教を」(二十一オ)見すしてわたくしに学ふ時は、必横道に落入て、身お(虫損)さまるへからす。身、修まらさるは迷ひ也。山野を行とも、しらさる道ハ先達なくてハ必ふみ迷ふへし。道をはなれて人なし、人を放れて道なし。道を学ふは人也。人の行へき道をゆく、是人也。禽獣に道なし。道なき所をかけるハ禽獣也。何事」(二十一ウ)にても、先達を頼んて学ハすんハ、道を行こと叶ふへからすと、□をしめして筆をおきぬ[かいまさくりてかいやりぬ(見消チカ)]。
 
   誹諧の箴[銘(見消チ)]
道ハ神代の和哥にわかれ、教は誹諧諷諌にもとつく。法は祖翁の物好よりならひて、」(二十ニオ)杖と笠とのかるみに遊ふ。花鳥に心を慰るにあらす。こゝろに月雪の清きをすますへし。衣は分を過す、飲は三石の奈良茶を喰らひて、煮豆柚みそのさひを味ふ。やはらきを専とす。嘗て行義をみた(虫損)すにはあらす[るへからす(見消チ)]。白澤園    」(二十ニウ)
 
   大社御神燈寄進序
八雲立出雲国大社天日隅宮(あまのひすミ)は、大己貴大神(おほあなむちのいほん)の御鎮座(ミしつまります)所にて、御神徳(ミうつくしみ)の弘大(おほひ)なる事は日本書紀(やまとふミ)に委しけれハ、今あやにくにのふるる(ママ)もおこかましけれと、ひとつにハ五穀耕作の祖神(いつゝのたるいものをたかやすのおほつおやかみ)、また顕見莫生(うつしきあをひとくさ)およひ畜産(けものゝ(ママ))のために病療(やまいををさむる)の方を定め、」(二十三オ)鳥獣昆虫(とりけたものはうむし)の災異攘(わさわいはら)ハんため禁厭(ましない□こる)の法(のり)を定め給ふ。そのほかおほよその御功(ミいさほ)あぐるにいとまあるへからす。そも/\伊勢の豊宮にます天照大日孁(ハまてらすおほひゐめの)尊ハ、天上(あめうへ)の第一(ひとハしら)の尊神(たかかみ)也。出雲の大社にます国作大己貴大神(くにつくりおほあなむちのおほミかみ)ハ、天下第一(あめのしたひとはしら)の尊神(たかゝ〈み〉)にてましませハ、昔より今に至るまて、かけまくもかしこき勅願(ミをのり)の御社なるかゆへに、貴(たから)」(二十三ウ)濺(ハやき)ともに尊伝(いやまい)て寄附(たてまつる)の品多(さハ)ありといへとも、わきて御神燈(ミあかし)を奉る事ハ神世よりの旧例(ためし)なれハ、神事七十余(かむことなゝそたひ)〈度〉(あまり)の中にも、春秋の大祭紀(おほまつり)、其外毎年(とし/\)六度の甲子祭(きねまち)にも是を挑(かゝて)て社前(ひろまへ)を照(てら)し奉る也。よて伝心(まこころ)の輩は一力(ミつから)にも
是を献(たてまつ)り、あるハ人数(ともから)を催して奉れる所の神燈(ミあかし)に、をの/\姓名(うちな)を書」(二十四オ)しるし、永く宮庭(ミまへ)を輝(かゝや)けし給ハヽ万代不易(きハまりなき)の神忠(ミいさほ)にして、子孫繁栄(こすゑしきり)の御祈祷(ミいのり)ならんとしか言。
  文化九申何月  何日何某    」(二十四ウ)
 
   扇地紙に二人の図を画
猿子雅君ハ、こその雪のふり初し朝より、花にうかれ、時鳥に更し、つゐに露ちる秋に至るまて、詠をともにしこかねをと□□(虫損)友なりけるか、おほやけのつとめなれハ、名高き月を見残して、今や河辺に柳をむすふことにハなりぬ。
  我々かちきりを見てや鹿のなく    」(二十五オ)
 
   花叔の新にやすみ所をもとめられけるにおくることハ
花橘の木かくれも住あきたりとて、椎の高きをたつねもとめ、岩間の折々の流れを汲て、こゝに一爐をむすへる人は、世に月花の主といふへし。      白澤
  椎の木のふところ涼し窓の花    」(二十五ウ)
 
   蛇池
泙〈家〉の蛇池ハ、めくり十余丁四十八浜、寒水岸にみなきり、其深きことしる人なし。古松四方に覆ひて、池面、空に藍を揉かことし。
  鱗かと見れハ銀杏の落葉哉    」(二十六オ)
 
   楢のいほの自省英士に送る
家は積水連山の閑寂にへくりて、楢の庵と呼ふ。本業医門、成相氏の中興なり。此自省英士や、経年に聖経賢伝をむねとし、禮を守のますら男にして、しかも風情を好むの癖あり。華におほろをつゝくるころハc、山野に杖をひきて古人のこゝろを」(二十六ウ)探り、窓に落葉のかけくらき夜は、時鳥をまちて硯の海をうるほす。月下の鹿ニ紅葉をあらし、雪見に転ふ所まてもと、昔の翁の伝もまのあたりた□□(虫損)さらしや。あるハかこち、あるいハ笑ふて、つゐにことしハ不惑の春に越え来たりと、おなしきみちの友を集め、賀筵をひろけて、ともに養老の流を酌んとものされける。予ハ山川」(二十七オ)を隔て、此事の時にあへることのかたけれハ、只一章をもて、祝ひのこゝろをのはへ奉るなめり。
  うら若き老や彭祖が菊の苗
 
   美男草
□(虫損)にとろゝあり。麻の木立うらやかに、」(二十七ウ)八ツ手かしハの葉つくり、錦の華ひらあしたハ宝色にうつくしく、夕ハ白めにもの寂し。かれハ油のこときとろゝをもてるゆへの名にや侍らん。烏羽玉の黒髪を、櫛にちすちのむすほゝれたる中をもやわらけ、紙漉ける女の白きたまゝたをくゝりて、つゐにに(ママ)ハ、たけき武士(モノノフ)の心をもなくさむゆへ、紅葉ちりしき鹿なく頃ハ、丸薬ほとの」(二十ハオ)実となりて、世に猿胡麻のうき名はあれと、美男草と呼ハれたるこそ、昔男なつかしう、汝(ナ)か面目なめれ。
  猿胡麻の井筒にちりてあハれなり    」(二十八ウ)
 
   庵筆白澤薗額面の裏
友人広瀬氏春尚のぬし、此〈歳〉月のはしめ、つくしわたひして長崎の聿を見めくるに、通辞何某なる人に雅筵の交りものせしつゐてに、かくとさゝやき、かれかはからひもて、もろこし人に対面す。しゝまにかねもつきやらぬ身の、たゝめつらかなりとおもほゆるにそ、」(二十九オ)やかて、花に月に書集めたるものなと取出して見せしむるに、すゝろによろこほひて、笑える気色なりぬと。かくて、予、号を墨して是を乞へは、やす/\くと筆を染て白澤薗の三字を送る。長途のいたつきに倦ことなく、ふところにして家つとゝなせハ、予もともにかの国の人にあへるかことく、殆観喜(ママ)のあまり」(二十九ウ)自糊して額面となし、草庵調度の一にそなふ。時ハ文化丁丑卯月のはしめ、手錢氏いつ世のあるし雅硯、芒庵の薄の雫に毫を濺きてしるす
   □□(ママ)    」(三十オ)
 (以下白紙)