解題・説明
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本書簡は、近藤勇が長州訊問使永井尚志に付き添って、芸州の広島出張の出がけに認めた書簡である。文の初めに、「馬乗乍ら啓上致し候」と断っているのは、そのあわただしい様子を伝えている。また、時間がなくあわてて書いたので、薄墨であり、ところどころに字の書き誤りがある点から、その様子が窺われる。宛名は、苗字の一字のみ記しているが、日野宿名主の佐藤彦五郎、小野路村名主の児島鹿之助(先祖が児島高徳のため「児」の字も用いた)、下染谷村の粕谷良循(土方の兄・医師)の三人で、ともに土方歳三家とは親戚関係にある。 近藤は、伊東甲子太郎など新選組隊士を八名同伴させた。近藤は、話合いによって長州側と決着をつけようと考えているが、前年に池田屋事件で長州人と仇を結んだので心痛であると述べている。少人数で敵地に乗り込むので、万が一、近藤の身の上に変事があることを想定してこの書簡は書かれている。 留守局(新選組)の所は、念入りに土方に託してあり、なお、天然理心流師範五代目は、沖田総司に譲りたい。しかし、今のところは、このことを胸内に秘めていて、人には、話さないでほしい。よろしくお心添えをお願いしますとあり、近藤が死ぬと遺言状になるものである。近藤は、広島からなんとか、長州へ侵入したいと考えていたが、防備が固くあきらめざるをえなかった。そして、無事に帰還した。
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