解題・説明
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宛名の盛兄は、佐藤彦五郎の名乗りの盛車、政兄は、小島鹿之助の名乗りの為政である。文中の兵庫港へ外異(夷)襲来は、九月十六日に英米仏蘭の代表が条約勅許と兵庫先期開港要求のために軍艦を集結したことをいう。この難局に対峙すべき人物として幕府は外国奉行であった山口直亮を大阪に派遣した。英国公使パークスは強硬で兵庫開港を力づくでも朝廷と交渉するとの姿勢であった。将軍家茂は、将軍退任を決意して、兵庫開港を上奏した。十月五日に回答があり「条約は勅許、兵庫開港は止めらる」であった。しかし、幕府は、「開港は勅許であるが、まだ時期が来ない」と読み替えてこの場を収めることにした。山口がパークスに伝えると「老中の連署がないので明日までに書類を提出せよという。京都へ行くと一日では間に合わない。」そこで、山口は一計を案じて、祐筆に偽の署名をさせて文書を提出した。このため、四国艦隊は大阪湾を引き揚げ、当面の危機は去った。この辺の京の様子を伝えている。追伸には、大小監察の付添にて長州に四、五人引連れていく予定であることを知らせている。近藤は多忙のため、土方歳三を帰府させるとあるが、土方の二度目の帰府は慶応三年十月であった。書簡端裏書の「祝融氏え御投げ申し上ぐべき」は、この書簡を読み終えたら、火中に投じてくださいという意味である。
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