明石市では今から200万年前のアカシゾウ、シフゾウ(シカの一種)の化石が発見されており、これらの化石が見つかる海岸からは、かつて「明石原人」と名付けられた人骨(腰の骨)も発見されています。開発にともなった発掘調査の結果、旧石器時代から江戸時代にかけての遺跡が確認されています。
明石市の市域は昭和26年(1951)に大久保町・魚住村・二見町と合併し、東西15.6km、南北9.4kmの東西に細長い都市となりました。市域のほとんどは、明石川から加古川に広がる標高20m前後の「いなみ野台地」とよばれる中位段丘面(西八木面)で、わずかに明石川・藤江川・谷八木川・赤根川・瀬戸川の下流域で沖積地がみられるにすぎません。この特徴ある地域では、平野・台地の南端部に遺跡が認められています。
また、明石川右岸部には明石郡衙(ぐんが)跡があり、その関連した遺跡が発見されています。さらに明石川左岸の段丘地には奈良時代の太寺廃寺があります。明石川左岸の大蔵中町で発掘調査の結果、瓦積みの井戸が5基検出されました。その井戸枠に使用された瓦は、播磨国の官衙(かんが)(公的施設)に使用された瓦と同様でした。こうした生活の跡は、明石市教育委員会による発掘調査の進捗によって、徐々に実態が明らかにされてきました。その各時代の代表的な遺跡をあげれば以下の通りです。