(室町時代)大久保町西脇
報恩寺は奈良時代に恵弁上人(えべんしょうにん)が開基した天台寺院で七堂伽藍(しちどうがらん)を備えていましたが、羽柴秀吉の三木城攻めの時、兵火により焼失しました。平成4年(1992)に宅地造成に伴い、発掘調査を行った結果、多量の焼け落ちた丸瓦、平瓦とともに文字瓦が出土し、明徳(めいとく)4年(1393)に造営された「報恩寺」であることが判明しました。また、瓦大工として橘吉重(たちばなよししげ)の幼名「彦次郎」の名前も刻まれていました。【マップ中・大25】
報恩寺跡