古墳時代中期

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 5世紀になると全国的には堺市に所在する大山古墳(伝仁徳天皇陵)を代表とする巨大な古墳が築造されるようになりますが、明石地域においては、先の五色塚古墳が突出した規模であったためそれを超えることはなく、明石川下流平野部を望む段丘上に馬蹄(ばてい)形の周濠(しゅうごう)を伴う前方後円墳・吉田王塚古墳(神戸市西区王塚台、墳丘長74m、宮内庁陵墓参考地)が築かれるだけで、他にこの時期の古墳は確認されていません。この時期の古墳には鉄製の馬具(ばぐ)や甲冑(かっちゅう)などの武具が大量に副葬されており、大陸から朝鮮半島を経て伝わったもので、軍事色の強い国際的な交流があったことがわかります。

■吉田王塚古墳墳丘測量図
「玉津陵墓参考地裾・外堤内法裾護岸工事区域の調査」
『書陵部紀要 第53号』
(宮内庁書陵部陵墓課 2002年)より

 5世紀の中頃には土木技術や須恵器生産技術・横穴式石室などさらに新しい技術や思想・文化が伝わり、国内の古墳造りに大きな変革をもたらしました。