交通・技術

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 明治21年(1888)に山陽鉄道(現在のJR兵庫・姫路間)が開通しました。当時の駅は、兵庫・須磨・垂水・明石・大久保・土山・加古川・宝殿(ほうでん)(当時は阿弥陀(あみだ))・姫路でした。大久保駅の場所は、集落を南北に分断する位置であったため、赤レンガの大久保隧道(ずいどう)【マップ中・大11-2】が造られました。この隧道は地元では穴門と呼ばれています。

■大久保隧道

 

■旧小久保跨線橋

 上ヶ池公園にある旧小久保跨線橋(こせんきょう)【マップ中・西27】は、JR西明石駅の東一帯に設けられた明石操車場の跨線橋として平成6年(1994)まで使用されていたもので、新しい橋の架設に伴い、二連あったうちの一連がこの公園に移されました。明治23年(1890)、当時の九州鉄道株式会社が鉄道橋として、ドイツのハーコート社に発注し、技師ヘルマン・ルムシェッテルの指導の下で建設された70連あまりのトラス桁(けた)(鉄骨を三角の形に組んだもの)の一つです。昭和2年(1927)に明石に移設され人と車が通る跨線橋として使われました。

■「大正2年横河橋梁製作所」の支柱

 平成8年(1996)、JR大久保駅【マップ中・大11-1】の駅上橋建設に際し、取り壊される跨線橋に付けられていた《大正2年横河橋梁(きょうりょう)製作所》と刻まれた鉄の支柱がプラットホームに、構造部材が駅北のロータリーの時計台の支えとして残されました。これらは、当時の技術水準の高さを今に伝えています。