生活・文化

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 昭和3年(1928)5月11日、藤江競馬場【マップ中・西38】の幕開けの日でした。この競馬場は、山陽興行の前身の明石土地建物株式会社が経営し、1年に2,3回各3日間開催されました。開催日には、臨時駅の藤江駅が開かれ、数万人の観客を集め出頭馬も百頭を超え、競馬の合間にはオートバイ競走が開かれました。

■藤江競馬場

 また、場内1万坪には教材花園が設けられたり、夏の夜には花火大会も開催されました。その後、昭和12年(1937)に川崎航空機明石工場の設置によって競馬は廃止され、その跡地にその社宅が建設されました。かつての山陽電車藤江駅の建物は競馬場の馬券売り場を転用したものでした。

■ラヂオ塔

 「ラヂオ塔」【マップ東21】は、塔の上部に受信機やスピーカーを置いて、ラジオ放送を共同で聴くための施設です。日本でラジオ放送が始まったのは大正14年(1925)です。ラジオを普及させるため、昭和の戦前期に各地の公園や広場などに建てられました。京都円山(まるやま)公園の「ラヂオ塔」が評判をよび、明石では昭和12年(1937)9月に建てられ、戦後家庭用ラジオが普及するまで使われてきました。塔には「ラヂオ塔」と銘記されており、庶民の生活文化の一コマが見えてきます。