日本人は生まれて最初の宮参りは氏神様に参り、結婚式はキリスト教の教会で挙げ、葬式は寺の僧侶にお願いする人が多くいます。日々の暮らしの中でも初詣は神社に行き、春秋の彼岸、お盆は仏式で、クリスマスも祝うといったように信仰が混淆としています。神様に関して昔からいわれている「苦しい時の神頼み」という言葉が、そのことをよく表しています。
『古事記』が編纂(へんさん)され、『風土記』編纂の詔が出されて1300年がたちましたが、そこに登場する神々が今も祀り続けられているというのは、不思議な気がします。また、日本には普通の文学者や歌人が神として祀られる(無実の罪を着せられ非業(ひごう)の最期を遂げ、後に祟(たた)り神となったので、鎮魂(ちんこん)のために崇(あが)められ神として祀られた)という独特な信仰もあります(菅原道真など)。私たちの先祖は日々の暮らしを安寧に過ごし、安定した生活が送れるようにと、神様にお願いしてきました。現世利益(げんせりやく)といわれますが、考えれば合理的で、当然な信仰でもあります。稲作にとって一番必要な雨を降らせてくれる新しい神様が出現すると、当然、祀ります。ただ、新しい神様が現れたからといって、それまで祀っていた神様を忘れてしまうのではなくて、新しい神様の脇や裏側に祠を作って祀り続けます。ですから、神社には大小合わせて様々な神様が祀ってあります。また、遠くて行けない神様も祠を作り、ご利益を授かるようにと祈ります。実に優しく、合理的ではないでしょうか。
■稲爪神社
明石市内には全国的な神様を分祀(ぶんし)して祀っている神社も多くありますが、まず明石地域に特有な神社から紹介します。稲爪神社【マップ東6】です。同じ名前の神社はあるのでしょうか。稲爪神社は古代の鉄人襲来伝説と関係があり、伊予(いよ)国(愛媛県)の大三島(おおみしま)神社から分祀されました。秋祭りの獅子舞は県の無形民俗文化財で、市指定の「牛乗りの神事」は鉄人伝説に由来し「囃口(はやくち)流し」も庶民の芸能文化をよく伝えています。「稲爪=いなつめ」という名前から、『播磨国風土記』に出てくる「イワツヒメ=伊和都比売」と「伊和神社」との関連を解く説もあります。
■御崎神社
市指定民俗文化財「藤江の的射」に伝わる御崎(みさき)神社【マップ中・西34】の伝承も鉄とつながっています。もう一つ、明石特有の神社として「宗賢(そうけん)神社」【マップ西3-1】があります。市内だけでなく旧明石郡に広く分布し、『播磨国風土記』などにも出てくる「オケ・ヲケ二皇子」の伝承がもとになった、23代顕宗(けんそう)天皇と24代仁賢(にんけん)天皇の兄弟帝が祭神で、二人の名前から"宗"賢"神社とつけられました。宗賢神社の縁起については諸説がありますが、王子神社【マップ中・西3】が中心となって広がっていったといわれています。
■王子神社
明石の土地柄から海との関わりのある神社も多くあります。魚住町中尾の住吉神社【マップ西7】は市内の西部にあり、他の10社の住吉神社【マップ中・大19】の中心的な存在で、祭神は住吉三神「表筒男(うわつつのお)、中筒男(なかつつのお)・底筒男(そこつつのお)」と神功皇后(じんぐうこうごう)を祀っていて、全国の住吉神社と同じように神功皇后伝説と深く絡んでいます。
■住吉神社(魚住町中尾)
また、海そのものが社名の神社が神戸市垂水区(旧明石郡)にある海神社で、祭神は住吉神社とは別の三神の「底津綿津見(そこつわたつみ)、中津綿津見(なかつわたつみ)、上津綿津見(うわつわたつみ)」です。海神社の伝承には、神功皇后が朝鮮出兵の行き帰りに海神社の祭神の加護にあったことを伝えており、住吉信仰との接点があったのかもしれません。
海に働く漁業関係者の信仰が厚いのが平安時代に編纂された『延喜式神名帳』に記されている式内社(しきないしゃ)岩屋神社【マップ東28】で、海上安全と漁業繁栄の神として厚い信仰を集めています。
■海神社
■岩屋神社
岩屋神社は淡路島から神様をお迎えしたといわれ、その故事に従い「明石浦のおしゃたか舟」神事が夏に行われます。林崎の林神社【マップ中・西9】も『延喜式神名帳』式内社で、林崎の海岸にあった“赤石”の上に海の神が現れ祀ったのが始まりとされています。また、林地区では旧町内ごとに「スミヨシさん」と呼んでエビス神【マップ中・西14】を祀って、航行の安全と豊漁を願うことが守り続けられています。これは“エビス''系の信仰で、戎、恵比寿、蛭子(神話から由来)の名前で表されています。
また、寺院の項で触れた渡来系の仏教者・法道仙人(ほうどうせんにん)が7世紀頃に明石に上陸し(船上の地名伝説の一つ)、布教をしていたといわれている同じ頃、インドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)から中国を経て明石に到着した渡来系の神様・牛頭天王(ごずてんのう)がいます。牛頭天王も法道仙人と同じ国道175号線にそった北上ルートに伝説が残っていて、法道仙人に寺を建てる場所を教えたとされています。牛頭天王はその後、姫路市の北、広峰山にいた所を奈良時代の政治家の吉備真備によって祀られたとされています。広峰の牛頭天王は平安時代に京都に勧請(かんじょう)されて悪病退散の神として祇園社(牛頭天王は元々インドの祇園精舎の土地神だった)に祀られて、その祭りは今の祇園祭につながっています。
明石では魚住の天王社や松江の八雲神社【マップ中・西20】などが牛頭信仰の神社です。
■魚住天王社
ただ、牛頭天王は荒ぶる神から素盞嗚命(すさのおのみこと)と同一視され、素盞嗚命を祀る社が、以前は牛頭天王社だった例は多くあり、太寺天王町の素盞嗚神社も元は牛頭天王だったと思われます(京都の祇園神社も主祭神は素盞嗚)。
■素盞嗚神社
全国的に知られ、明石にもある神様というと、まず菅原道真を祭神とする天神社系で、休(やすみ)天神【マップ東8】などがあり、道真が大宰府(だざいふ)に流される途中に仮寝をしたという仮寝の丘の旧跡も二見の君貢(きみつぎ)神社【マップ西20】にあります。
■休天神社
菅原道真と同じように文学者で歌聖といわれる柿本人麻呂を祀るのが柿本神社【マップ東14】で、「人丸さん」と呼ばれて親しまれています。
■柿本神社
元々、明石城を建てる時にあった人丸塚(室町時代の僧、一休が訪れたとも)を庶民の申し出で今の地に移したといわれており、江戸時代は・・ひとまる・・の名から、''人産れる''で''安産''の神様、''火止る''から''防火''の神様として親しまれました。これは他の地の柿本神社や柿本寺でも同じ御利益として人々の信仰を集めています。
柿本人麻呂も菅原道真と同じ祟(たた)りの神、御霊(ごりょう)神とする説もあります。
■神明神社
また、伊勢信仰系の神明社【マップ西8-1、8-2】、大神宮も市内各地にあり、二見地区の東西大神宮【マップ西35-1、35-2】は伊勢講との関係で祀られてきました。
■東大神宮
■西大神宮
八幡信仰系では大窪八幡神社【マップ中・大5】など6社あり、熊野信仰系の熊野皇大社、金毘羅(こんぴら)さん系の金比羅神社もあり、稲荷神社系となると和坂稲荷【マップ中・西8-2】をはじめ大小無数の社祠が多く見受けられます。神仏習合(しんぶつしゅうごう)の弁天社、妙見社、北辰社も数は少ないですが、祀られています。神様を祀る所に元々、社=建物はなかったのですが、仏教が伝来して寺院を中心に広まって行く中で、対抗して神社が建てられてきたといわれています。奈良の大三輪神社のように、ご神体は山で、拝殿だけが山に向かって建てられており、元来は自然崇拝の中で、山や岩や大木に神様が宿り、それを祀っていたのが神社の始まりといわれています。
■金ヶ崎神社
金ヶ崎神社【マップ中・大24】は、今は住吉神社系の祭神ですが、元は黒岩神社といって、ご神体は黒い岩を祀り、旅の安全を祈願したといわれていて、古い形の神社の姿を伝えています。
明石市内には都市部にしては珍しい、「山の神」が数カ所に祀られています【マップ東2-1、2-2】。里人が山に入って木を切ったり、猟をする時に、災いが起こらないように祈る神様で、''里と山の境''に祀られています。
神様の名前は別になく、昔から女性の神様で、今でも奥様のことを陰口で「山の神」と呼びます。古い言い伝えの中に「山で嵐にあったりしたら、山の神様にお祈りしながら、常に携帯している魚のオコゼの干物を包んだ紙からソッと取り出し、神様に見せるそうです。女の神様は''何とブサイク''とホッとして、嵐が静まるそうです」(実際、京都の山奥で炭焼きさんからオコゼを見せてもらった)。山の神ということで、山の名前の付いた神様を祀っている所もありますが、元はただ「山の神」だったのでしょう。
■山の神(東朝霧丘)
「山の神」と同じように人々の暮らしの中で祀られている神様に大歳神社、大年神社があり、多くは地域毎に祀られています。一年の''年''の神様で、年末年始に祀り、所によっては「お正月様」と呼ぶ地域もあります。市内にいくつか残っている正月の行事''お年桶(としおけ)''は年神様を祀る行事です。
複数の神様を一緒にお祀りしている神社もあります。小久保の三社神社【マップ中・西29】には天照大神(あまてらすおおみかみ)・春日大神(かすがたいしん)・八幡大神の三神が祀られています。
■御厨神社
二見の御厨(みくりや)神社【マップ西30】には祇園宮、八幡宮、天神宮を三社相殿で祀っています。二見の御厨神社、君貢神社とも神功皇后との縁の伝説がありますが、いずれも国や皇族に食物を運ぶ役割からきており、海の幸の豊かな二見の歴史を伺わせます。
この他、伝説が由来の神社や、神話にまつわる神社、個人が祀った商売繁盛の祠など、実に多くの神様が私たちの周囲にあり、人々の心のよりどころとして、八百万の神様は祀られ続けています。