明治天皇巡幸

38 ~ 38 / 94ページ
 明治天皇の山陽道巡幸に関連する史跡が、明石市内には明治天皇明石行在所(あんざいしょ)・明治天皇大久保御小休所(おこやすみじょ)の2カ所あります。明石行在所には、鍛治屋町の光明寺(浜光明寺)本堂北の書院があてられました。明治18年(1885)8月9日夜、御座所には寺蔵の元僧海雲筆陶澤銘酊図、陶器製獅子形香炉などが置かれ、蚊の対策として数百本のローソクが庭に灯され、海岸一帯には篝火(かがりび)が焚かれました。翌10日、明治天皇は馬車で行在所を出発し巡幸最後の行程につかれました。

行在所

 大久保御小休所は、大久保町大久保町の安藤弥三太が所有する家屋があてられました。8月9日、姫路を発たれた明治天皇は午後3時23分に到着され、小休止のあと同3時57分に光明寺へと向かわれました。このときに使われた御小休所は、大正8年(1919)に西300mの所へ聖蹟記念館として移築されました。

御小休所

 ところで、明治天皇は明治5年(1872)から明治18年(1885)の間、“邦(くに)を知り国を治める”ために日本国内を6回、巡幸されています。巡幸は、沿道の住民に経済効果をもたらし、「慈恩に満ちた帝王像」「至高の存在である天皇像」を国民に印象づけたといわれています。