雲晴寺(うんせいじ)(曹洞宗)

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人丸町5-23
 
 4代藩主の大久保季任(おおくぼすえとう)が前任地であった加納(かのう)(岐阜県)から能山侃芸(のうざんかんげい)を招いて寺を開きました。境内には南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)のモデルとなった里見忠義(さとみただよし)夫妻の供養碑(くようひ)の他、明石藩士の一族や宮本武蔵の二天一流3代目柴任重矩(しばとうしげのり)の墓石などがあります。
 昭和20年(1945)7月の空襲で山門以外が全焼し、宮本武蔵作と伝えられる庭も埋まってしまいましたが、平成18年(2006)の発掘調査で庭の一部が発見されました。【マップ東17】
雲晴寺