日富美町6-8
元和(げんな)3年(1617)に初代藩主小笠原忠政が信州松本(長野県)から本源寺を移して、本立寺と称しました。忠政が豊前小倉(ぶぜんこくら)(福岡県)へ移封されるとともに、本立寺も小倉に移りました。寛永(かんえい)11年(1634)に跡地に妙円寺を建て、後にもとの本立寺と改称しました。
新井白石(あらいはくせき)とともに江戸期を代表する儒学者・梁田蛻巌(やなだぜいがん)の墓所があります。蛻巌が開いた学校「景徳館(けいとくかん)」にちなんで境内に景徳館文庫がありました。【マップ東30】