西新町1丁目2
もとは地蔵院といわれ船上(ふなげ)町の密蔵院の末寺でした。初代藩主小笠原忠政(おがさわらただまさ)の後室が先君の菩提(ぼだい)を弔い寺格を上げました。本尊の薬師如来は藤原鎌足(ふじわらかまたり)の孫、藤原宇合(ふじわらうまかい)が明石郡内に七仏薬師を作った時、あと1体の薬師を作りここに安置したことから、八体(はったい)薬師と呼ばれました。薬師縁日には「はったい」が転じて煎麦粉(はったいこ)を供える風習があります。
羽柴秀吉が天正6年(1578)の三木城攻めに際し戦勝を祈願したといわれる杉の焼株が残っています。【マップ中・西2】