大久保町大窪1213
平安時代末期、源平の合戦が終わり、出家した武将の佐々木義清が諸国を巡っている途中に、この地に立ち寄って寺を開いたのが始まりとされています。
天正(てんしょう)6年(1578)、羽柴秀吉が三木城を攻めた際、光触寺に本陣を置いたと伝えられ、境内に「太閤駒留(たいこうこまどめ)の松」の切株があります。戦勝の後、池田輝政から薬医門(やくいもん)が贈られました。薬医門の蟇股(かえるまた)は左甚五郎(ひだりじんごろう)の作といいます。(光触寺の隣に「左巻き地蔵」があり、地蔵に巻き付いた大蛇とため池の伝説を伝えています。)【マップ中・大4】