魚住町金ヶ崎898
寺伝によると、奈良時代の天平(てんぴょう)12年(740)に行基(ぎょうき)が開いたとされています。もとは、魚住町錦が丘にあり、立派な伽藍(がらん)をもっていましたが、南北朝初め(1334〜36)の戦乱で兵火に遭い焼けました。
その後、絵馬堂があった現在の所に再建されましたが、天正(てんしょう)7年(1579)の羽柴秀吉の三木城攻めで別所方に味方したため焼けたと伝わっています。この寺から200m北に行基が亡くなった人を弔(とむら)うために造ったといわれている香盤池(こうばんいけ)があります。【マップ中・大28】