13.道と道標

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 明石地域は、古代より中国大陸や朝鮮半島の文化の中継地である北部九州と日本の政治・文化の中心地である畿内地域との間に位置していることから東西交通が盛んでした。
 奈良時代に法や制度などが整備統一され、ようやく国の“かたち”ができあがり、役人や兵の移動、都と地方との連絡や税(食糧品や布・絹など)の輸送などのため、全国に七道(東海道・東山道・北陸道・南海道・山陽道・山陰道・西海道)という幹線道路が整備されるようになりました。その中にあって最も重要な道が、都と大陸文化の玄関口である大宰府を結ぶための道で、明石を通過する山陽道でした。この道は、近世の山陽道(西国街道)と区別するため「古代山陽道」と呼ばれています。
道標イメージ

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