■古代山陽道跡(福里)
また、古代山陽道推定地に近接している長坂寺遺跡(魚住町長坂寺)【マップ西2】は、古くより多くの古瓦が出土することで知られていましたが、近年の発掘調査により築地跡等が確認され、明石駅家と賀古駅家との間に設けられた駅家の跡で、10世紀初めに廃止されたものであることが分かりました。
その後、朝廷の力が弱体化するにつれて地方領主の力が強くなり、分国経営の時代へと変わると幅の広い直線道路は維持管理することが困難になり、領国内や隣国間の人々の日常の往来をはじめ物資の移動など、必要最低限の道幅と地形に応じたルートへと徐々に変化していったと考えられます。