近世山陽道(西国街道)

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 江戸時代になると幕府は全国の街道を整備し、沿道に松並木と一里(約3.9km)毎の目印とするための塚を造り、榎などの大きな木を植えました(一里塚)。街道沿いの各藩は宿場や本陣、渡しなどを設け往来の便宜を図りました。明石市域では、大蔵谷と大久保、清水(長池)に宿場を設け、それぞれに本陣・脇本陣・旅籠屋(はたごや)などがあり、参勤交代の大名やその家来、また、寺社への参詣に向かう庶民たちで賑わっていました。「大蔵谷宿場筋跡」【マップ東5】や「大久保本陣跡」【マップ中・大10】周辺が、その当時の街道筋の雰囲気を伝えています。一里塚は今では見ることが出来ませんが、大蔵谷村・和坂村・福田村・清水村の4カ所にあったことが記録に残っています。

■大蔵谷宿場筋跡(大蔵八幡町)