高砂道

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 明石川西部地域は瀬戸内海を利用した海上交通も古くから盛んで、沿岸部には船の潮待ちや風待ちのための停泊港としての集落や漁業を生業とする集落が発達しました。それらの集落を結ぶ生活の道で、明石から西の高砂方面へ向かうことから一般的に高砂道と呼ばれ、明治19年(1886)参謀本部測量の2万分の1仮製地形図に道の名称として「高砂道」と記載されています。また、江戸時代の享保年間(1716〜1735)に著された明石地域の地誌『明石記』にも「高砂道」の名前が記されています。明治時代以降の改修工事による付替えや新しい道の建設などによりルートが変化しています。

■高砂道(谷八木)