太山寺道

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 中世以降、貴族や領主を中心に寺社への参詣が盛んになり、江戸時代中期頃には伊勢参りや西国三十三所巡礼に代表されるように庶民へと拡がり、多くの人々が寺社を目指して街道を往来するようになりました。
 「太山寺」は神戸市西区伊川谷町に位置し、明石の海中より現れたという薬師如来を本尊とする天台宗の寺院で、霊亀(れいき)2年(716)に創建され、開山は藤原鎌足の長男定恵(じょうけい)と伝えられています。太山寺が西国街道から離れた伊川谷の最奥部にあることから、参詣者を導くための道標が建てられました。参詣のルートはいくつもありますが、明石市域では金ヶ崎から大窪・鳥羽新田を経て神戸市西区玉津町へ抜ける道と大蔵谷から伊川谷へ抜ける道が知られています。特に大久保周辺の道では分岐点などに「太(大)山寺」「太(大)山寺道」と刻まれた石造の道標が残っていて、かつて参詣道であったことを今に伝えています。

■太山寺道道標(金ヶ崎)