道路の起点・終点を示すもので、大正8年(1919)4月に公布された旧「道路法」により、市町村毎に設置が義務付けられ、多くは役場付近の交差点に設置されました。明石市域では、次の5カ所にありました。明石市鍛冶屋町13番地、魚住村長坂寺下通り1325ノ1番地、大久保村大久保神楽田14番地、林崎村林東町1125番地、二見村東二見1667番地。しかし、現在の道路法では道路の付属物扱いとなり、特に定めがないため道路の改修工事などにより移動・廃棄されたものが多くあります。明石市域では、「二見村」の元標が平成12年(2000)から始まった県道718号(旧国道250号)の拡幅工事により廃棄されてしまったようです。現在、「明石市」(東仲ノ町、●12)、「大久保村」(大久保町大久保町、●22)、「魚住村」(長坂寺、●29)の元標が残されています。近代交通史における道路整備の歩みを伝える貴重な文化遺産です。
一覧表により道標が案内する対象をみると、市内3地域(東部・中部・西部)の特徴が表れています。
東部(人丸町周辺)では、柿本神社(人丸山)を案内するものが多くありますが、周辺地を案内するものは少ないです。これは西国街道に近接して著名寺社である柿本神社が存在し、柿本神社からの帰り道、街道への合流地の案内はあえて必要としなかったためと思われます。
中部(鳥羽〜金ヶ崎)では、太山寺への道を案内するものが多いとともに、大久保・金ヶ崎など周辺地の案内も多くあります。これは、西国街道から分岐する脇道(太山寺道)が存在しており、東向きに太山寺への案内があるのは当然のことですが、逆に太山寺から西方面へ向かう時、どの道を行けば西国街道との合流地や周辺の集落に出るかを案内する必要があったためと思われます。このような太山寺への道を案内する道標は、明石市周辺部にも多くあり、明石市内分を含めて70基以上確認されています。その範囲は、東は神戸市兵庫区東山町、西は加古川市神野町西条、南は明石海峡に面した西国街道近くの神戸市垂水区西舞子、北は美嚢川上流部の三木市口吉川町というように、広く分布しています。特に、加古川から稲美町・神出・押部谷を通り太山寺へ至る、東西方向の直線的な分布が認められます。
西部(魚住町清水周辺)では、寺社名を記した直接の案内ではなく、東・西・南・北全方向への地名案内があり、清水が西国街道の主要な交差点であることを表しています。また、光背形石仏の地蔵像の横に方向と行き先を記しているものが多いのも特徴です。村人の平安とともに、往来の安全を願ったのでしょう。
分布図をみると、浜手の「高砂道」には道標が少ないことに気付きます。これは、この道は旅人が通行するための道ではなく、主に地元の住民たちが通う生活のための道であり、特に“みちしるべ”を必要としなかったためと思われます。