明石市内の太山寺道関係の道標を辿る時に悩むのが、【17】(亀池堤南西)と【19】(大久保町松陰)です。その間を歩いてみましょう。
松陰集落を西から、太山寺を目指して進むと集落の東端に【19】があり、はっきりとした字で「左 大山寺道」(太山寺は大山寺とも書く)と彫られています。道標の示す「左」は家と家との間を流れる水路で、歩く道とは思えないので、近くのどこかから移動されたのだろうと考えてしまいます。
さらに松陰から東へ伸びる古い道を進みます。鳥羽集落へ入って北へ向かい、亀池の堤で【17】を探し当てます。それには、小坊主風の人物像が向かって右を指さして「すぐ 太山寺道」とあります。“すぐ”とは真っ直ぐ行くという意味で、指が示す方向と文字の配置から、「この道は太山寺道です。太山寺へは右に行きなさい」と導いていることになります。しかし、これが指している道は今歩いて来た道であり、矛盾しています。これは、道から離れた所にあるので、どこかから移された可能性がありますが、二つ続いて現状の道とは合いません。周囲を眺めると真っ直ぐな道に囲まれた田圃が広がっていて、この付近は土地の区画整理が行われたことに気づきます。今通って来た道は、道標が導く太山寺道ではなかったようです。
出来るだけ古くて詳しい地形図を探すと、昭和32年(1957)に測量された明石市の三千分の一地形図があり、松陰周辺が区画整理される以前の様子がわかります。これによると、【19】が示す「左」には水路に沿った道(記号:- - - - - -下図①)が表現されています。それを進むと道の記号はなくなりますが、蛇行して流れる谷八木川の北側の土手を進むことができ、さらに進むと小さな橋(記号:> < 下図②)があり、川を渡ることができます。ここまで来ると東へ伸びる道に繋がり、屋形池の北を進み、【17】へと向かいます。亀池近くで、南北の道に合流して南に向かいますが、すぐに、東南に向きを変えています。【17】はこの辺りにあったと思われます。このルートを通れば道標の指示に背く事なく最短距離で、太山寺を目指すことができます。道標は、そこに記されている情報が周辺の道標やそれが示す寺社や名所などと結びついていて、地域の歴史を教えてくれる貴重な文化遺産です。