鳥羽新田

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 6代藩主松平信之は、父忠国の後を継ぎ、さらに新田開発に力を注いでいきました。万治(まんじ)3年(1660)、鳥羽村から12人が入植(にゅうしょく)し、17町2反8畝1歩(約17ha)を開墾してできたのが鳥羽新田村です。この八幡神社【マップ中・西23】は、移住が始まった年の正月に鳥羽八幡神社の氏神を勧請(かんじょう)して造られたといいます。境内には稲荷社と厳島社が祀られています。信之は30間四方(約0.3ha)の土地を寄付し、境内、山村などにかかる税を免除しています。鳥羽新田の他に、東野新田(森田)、長池、永井、生田、漆山(うるしやま)、などの新田を開発しました。これらの新田では、今でも信之の命日7月22日(新暦8月22日)には前記の新田や日向堂(ひゅうがどう)【マップ西8-2】で供養が行われています。

■鳥羽新田八幡神社


■日向堂(魚住町浜西)での信之供養